結婚55年

10月19日は、わたしたちの結婚した日。1953年、昭和28年のことで、55年も前。
55年たったが、まざまざと覚えている。わたしは28歳、花嫁は20歳。式場はわが家の1軒おいて西隣りにあった、ルーテル神学校のチャペル。プログラムは自分で謄写版印刷をした。画家の井崎昭治さんが、表紙に鳳凰を2羽描いてくれた。花嫁のウエディングドレスは家内の母の手製。奏楽は家内の兄。 司式は酒枝義旗先生。その式辞に感激していた友人もいたが、本人のわたしはまったく記憶にない。その話は30分近く、家内の先生のアルウイン女史は途中退席するほど。
記念集合写真以外、1枚の写真もない。その写真に伝道者が多い。仲人は伝道者・鈴木善七夫妻。家内の祖父の伝道者・浅田正吉。伝道者・政池仁先生夫妻。伝道者・藤沢武義先生。それに白井きく先生。牧師の佐藤陽二さん。父・英二郎も伝道者の一人だ。友人では、新制作協会の井崎さんのほか、待晨堂書店の市川昌宏さん。物理学徒の鈴木皇さん。気象学の内田英治さん。憲法の清水望さん。同僚の経済学徒・石原義盛君と、農業経済の勝原文夫君。靴メーカー・横内敬一君たち。大きな影響をいただいた、もったいない師友ばかり。
新婚旅行は日光へ行った。上野駅で三等切符を買って出かけた。いろは坂を登る満員バスの車掌の制服が、家内の母が新婚用に縫ってくれた洋服と似ていたのに驚いた。奥日光の宿屋に泊まったら、修学旅行生が「ちっちゃなお嫁さん」と冷やかした。華厳の滝、竜頭の滝、戦場ヶ原もよかったが、一番印象に残るのは、足を踏み入れた、奥日光の奥の「切込み」「刈込み」の幽邃(ゆうすい)な池のたたずまい。カメラをだれしも持たないころで、かえってその色、空気、木々の肌さわりがよみがえる。55年、ずっと、主が運んでくださった。
敷島の大和の国に人ふたりありとし思はばなにか嘆かん(詠み人知らず)
「あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう」(イザヤ46・3、4)