尊敬する三人の韓国人

1967年、昭和42年に、初めて韓国を訪問してから41年。たくさんの韓国人と深い交わりをむすんだ。韓国では数十回も民泊し、韓国人の生活と心にふれた。日本のわが家にも、のべ数十人は泊まられた。すべてクリスチャン。しかも一人として、いやな思いをしたことはない。だれもが明るく善良。なかでも、尊敬する三人の韓国人がいる。すでに三人とも天に召された。
第一は李烈(イ・ヨル)。彼とわたしは、ダビデヨナタンの仲だった。彼は詩人。彼の詩集「受難曲」(スナンゴク)を日本で出した。翻訳は彼自身。そのなかの「ある悲歌」(オヌピガ)が好きだ。とくに「ことばは節制の中でうるおい出で/苦悩がうちきたえる/霊(たま)の/色どり雨だれにきらめく」がいい。彼が危篤と聞き、わたしは伝道旅行を中断して訪韓したが、間にあわなかった。彼の墓土を踏んで、翼の半分がもがれた思い。
二人目は全永昌(ジョン・ヨンチャン)。居昌高校長。わたしもそこで講演。彼は朴正煕大統領の終身制移行に反対する生徒のデモを支持して罷免された。しかし法廷で争い最高法院で勝訴。その直後、寄付集めの訪米からの帰途わが家に泊まり、ソウルで逮捕されるおそれありという。独裁政権をむこうにまわして一歩も引かない。居昌高校は当時、慶尚南道ソウル大学進学率一位。敬虔で素朴。骨太で豪放。それでいて愉快な人物。
三人目は鄭泰時(チュン・テェシ)先生。この人がいると思うだけで、わたしには韓国は大丈夫とさえ思えた。一人の人物が一国を代表していた。先生は大韓教育連合会事務総長や、公州教育大学長をつとめたが、日本の官憲と朴正煕時代の二回、家宅捜査をうけ蔵書は没収。「韓国に人物あり」と思わせる、そのおおらかさ。深い教養学識。時代を見据える眼力を備えながら、悠揚迫らぬ大人(たいじん)の風格。もう一度お会いたい。
「友はいずれの時にも愛する。兄弟はなやみの時のために生れる」(箴言17・17/口語訳)