ハンセン病療養所にて

shirasagikara2008-11-23

11月18日(火)に日帰りで、東北の国立ハンセン病療養所を訪問した。
かつては600人もいた患者がいまは130人ほど。ハンセン病が治癒して、多くの元患者は退所し、残っていられるのは障害のある方々だ。130人のうち、プロテスタントキリスト教信交会の会員は40名ほど。カトリックも加えるとクリスチャンの割合は高い。
むかしは、たくさんの伝道者や牧師が伝道におとずれ、学生や婦人会の方々も慰問に見えた。しかし元患者の平均年齢が80歳にもなり、しかも障害者が多いので、日曜日に教会堂へ出られる方は少ない。ほとんどの伝道者や牧師は、教会とつながっていただけだから、いまその足跡は途絶えがち。しかし、わたしは個々のクリスチャンとつながっていたので、いまも年に1回は訪問できる。お会いすれば聖書の話はするが、教えるために行くのではない。交わりのため、教えられるためだ。
部屋のドアを開け、「いそちゃん!」と呼ぶと、むっくり、いそちゃんは起きてきた。ご主人は床に伏していられる。毎年弱られる。聖書の話をする。むろん二人とも聖書を持つ力はない。二人はうつぶして聞いている。わたしは聖書を叩きながら話す。
話し終わってむかしばなしに花が咲く。数年まえ天に召されたキヨちゃんは、16歳で失明。17年間咽喉切開呼吸をつづけ、また脳膜炎、喘息、皮膚ガンでも苦しんだが、その生涯、一度も不満や、つぶやきの言葉はなかったという。キヨちゃんは、いそちゃんの胸に抱かれ「早くエスさまのもとへ行きたい」と洩らしたあと召された。
もうひとり友人をたずねて握手をすると、去年まで二本残っていた右手の指がなくなっていた。あの「感謝なことに、わたしには指が三本残っていますから、手の平にゴムを巻けば、ボールペンを差しこみ、ゆっくり字が書けます」と言われた方だ。
その忍耐。その笑い。その信仰。脱帽あるのみ。(写真は池畔の白鳥。対岸は旧寮舎)
「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」(ローマ5・3)