ゴリアトになったイスラエル

ユダヤ人はすごい民族だ。一度ならず、二度までも、むかしから、ほかの民族が住んでいる土地に「ここは、ご先祖さまに神さまがくださると約束された土地だ。どいてくれ」と言って攻め込んだ。最初は紀元前1250年ころ、旧約聖書ヨシュア記」から始まるパレスチナ侵攻だ。次は1948年の第1次中東戦争で、イスラエル軍エルサレムに攻め上ったときだ。
まわりことごとくアラブ民族、イスラム教徒に囲まれて、イスラエルの孤立感は深い。頼みとするアメリカのご威光もかげり勝ちだ。宿敵イランが核やロケットを開発し、ガザのハマスや、レバノンヒズボラに武器や資金援助をしている。イスラエルはガザやパレスチナ自治区の境界に高い塀をめぐらし囲いこんだ。そして今、昨年末からガザ地区へのイスラエルの陸海空からの攻撃がつづく。
むかしユダヤ人はナチスの「ゲットー」の囲い込みの狭い地域に押し込められ、迫害を受けたはずだ。迫害を受けたユダヤ人が、いま石で戦うようなパレスチナ人を、なぜ迫害するのか。イスラエルは、まるで完全武装したペリシテのゴリアトに見える。石で抵抗するガザのハマスの子どもが、少年ダビデに見える。
その解決策の手がかりが、旧約聖書「士師(しし)記」にある。パレスチナに侵攻して12の部族に土地の分配を終えたが、原住民を「追い出すことはできなかった」(1・19)、「追い出さなかった」(1・21)、「占領しなかった」(1・27)、「追い出さず、彼らの中に住みつづけた」(1・32)という記事だ。
つまり、パレスチナ人を皆殺しにはできないのだ、むかしも今も。とすれば、共にすむしかない。武力を持つイスラエルが、囲い込みの塀を壊し、追い出すのでなく「彼らの中に住みつづける」しかないのだ。賢いユダヤ人だ。まだチャンスはある。
「アシェルはこれらの地の住民であるカナン人を追い出さず、彼らの中に住み続けた」(「士師記」1・32)