日本のトップリーダーと民衆

麻生内閣の支持率が9.7%の、ひとけた台に下がったという。ぶざまな安部内閣、投げ出しの福田内閣につづき、あきれるばかりのトップリーダーたちだ。しかし驚くことはない。日本という国は、もう400年も、すごいトップなしで、なんとかやってきた国だ。
信長、秀吉、家康と実力派の人材が並び立ったあと、徳川幕府は、将軍が君臨しているように見せながら、じつは老中、若年寄たちが実権をにぎり政治をつづけた。若年寄には、大藩の大名でなく、小藩の有能な人材をけっこう登用している。つまりトップを浮かして、その下の連中が、ちゃんとやってきたということだ。この幕藩体制下の日本は、つぎの近代化への民衆の底力をたくわえていた。
明治になると、天皇は祭り上げられ、その下の元老や、枢密院、もちろん官僚たちが実権をにぎる政治がつづいた。国として大づかみにみれば、日本という国は、すごいトップが、ぐんぐん民衆を引っ張るタイプのリーダーは不在だったし、それでけっこううまくやって来た国なのだ。
たまに「自民党をぶっつぶす」と叫ぶ総理が出てくると、一時は熱狂するが、熱が冷めると正気にかえり、やはり情けないリーダーを、つついたり、けなしたり、日本人は楽しみながら、全体として、世界のなかで、びっくりするほどの高い地位を占めて来た。去年だってノーベル物理学賞を3人ももらった。つまり中間層の実力が高く、上がふらついても、なんとかやってゆく底力がある国なのだ。
トップが強い国は、ガンジーにしろ、毛沢東にしろ、スターリンにしろ、民衆が成熟していない国が多い。日本は、1872(明治5)年、義務教育をスタートさせたとき、その前年に義務教育が始まった英国より、日本人のほうが「読み書き能力」は高く、オランダ、プロイセンと並び、世界最高水準の実力ある民衆の国だ。(ジャンセン「日本における近代化の問題」岩波書店)。
麻生がだめなら、どっこいどっこいの、見栄えのない小沢でも出すか。
「今となっては、あなたの王権は続かない」(サムエル上13・14)