結婚式式辞・鋏と愛

shirasagikara2009-03-23

わたしは、42歳から頭の髪を自分で刈り始め、42年たっていま84歳。だから鋏との付き合いは長い。そして鋏ほど結婚の奥義を教えてくれるものは少ないのです。
まず鋏は2枚の刃が別々に造られます。本日の新郎は大阪で、新婦は長崎で生まれ育ち、それぞれ大学に学び磨かれ鍛えられました。この別々に造られた2枚の刃が1本の鋏になる。そのためには2枚の刃の、長さ、幅、厚さがぴったり同じでなければなりません。新郎も、新婦も、同じ外資系の会社で働き、同じ系統の仕事をし、外国語もできる。ぴったり同じです。
しかも2枚の刃を向き合わせて固く留める。ここで聖書が出てくる。「人は父母と離れ、妻と結ばれ、二人は一体となる」。しかも固く結ばれながら、鋏の動きはなんと自由で軽やかでしょう。お聞きすれば、結婚後しばらくは、新郎は横浜に、新婦は神戸にお住まいとか。二人は独立しながら、離れては合い、磨きあうのです。
わたしは、鋏を使ったあと、かならず油を薄く塗ります。だから40年たってもピカピカです。ここでまた聖書が出てくる。油は聖書では聖霊とされます。特に鋏の合わさり目に毛屑が入る。鋏を動かし油で浮かし、ていねいに拭き取ります。大阪の家庭では当たり前のことが長崎ではびっくりすること、逆に長崎の常識が大阪では意外なこともあるでしょう。その小さな違いを小さいうちにぬぐうのです。
しかし鋏がどんなによい出来でも、それはハードウエアです。このホテルがどんなにりっぱでも、働く従業員のソフトがよくないと機能しません。では結婚のソフトはなんでしょう。いま読んだ「愛」です。この「愛はすべてを<忍び>・パンタ、ステガイ」は屋根のこと、相手を覆うこと、相手を守ることです。最後の「耐える・ヒュポメネイ」も、がまんでなく下に留まる、謙遜になることです。愛は自分中心を貫くのでなく、相手を大事にする心です。鋏のハードと、愛のソフトが一つになる。これで新家庭は万全。
「愛は、すべてを覆い、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに謙遜」(「第1コリント」13・7、私訳)
(3月14日、神戸ポートピアホテル・チャペルでの10分間式辞の要約)