色あせくすみゆく美しさ

shirasagikara2009-04-06

わが家に、20年使いこんだ大机がある。長さ190cm、はばは90cm。もちろん食事のテーブルに使う。いつもは家内と2人差し向かいだが、向かいあわせで6人座れる。聖書の集会では8人掛けになる。定期の聖書集会では、この大机を中心に、20人ほどがいつも集まった。
じつに便利な机で、どれだけ仕事の助けになったことか。あまり使いこんだせいか、その表面の塗料がはげて、長い筋のまだら模様ができた。それは机が汚れたとき、拭いて、拭いて、拭きこんでできた模様だ。磨きこんだ結果だ。それがまた美しい。Ruin(廃墟)の美に通じる。「かたはらに秋草の花かたるらくほろびしものはなつかしきかな」(牧水)。
むかし勤めていた国立国会図書館の壁は、建築当時の1950年代、はやったコンクリートの打ちっぱなしで、長年風雨にさらされ、牛のよだれのようにしみがついた。それをある建築家が「なんともいえない美しさ」と評した。
わが家の塀も、コンクリートの打ちっぱなしだ。最初は真っ白だった。父は「緑色にならんか」と言った。それで茶室の前はツタを這わせた。それがいま、コンクリートの壁の上にコケが生えてきた。美しいコケだ。しっかり壁にはりついたコケだ。もちろんコンクリートの壁全体もくすんで落ち着いた色合いになった。
色あせてゆく美しさがあり、くすみゆく美しさがある。この美しさは、老年になってわかる美だ。もっと若ければ、机の塗料がはげれば塗りなおし、壁がくすめば洗いなおして、ピカピカにしたかもしれない。しかしいま十分年寄りになって、この「色あせくすみゆく美」を慈しんでいる。
ただのよごれは醜い。磨きこんでできた褪色(たいしょく)は美しい。人間も同じではないか。
「老体」「老衰」「老朽」「老兵」「老残」「老舗」「老台」「古老」「長老」「老僧」「老師」「老大家」。この中に、「ただの老い」と、「褪色の老い」がある。
「白髪になってもなお実を結び、命に溢れ、いきいきとし」(詩篇92・15 )