70歳台が最高

shirasagikara2009-05-18

1995年1月、70歳になったわたしはそれまでいた教会を出た。出る理由は「伝道者の賞味期限が切れました」。抜け出す理由にぬけぬけと言ったものだ。教会を出て教会収入は消えたが主が増やされた。自由になったわたしは「賞味期限はこれから」とばかり、水を得た魚のように、70歳台がいちばん楽しく、いちばんたくさん本を出した。
まず「ほっとしなけりゃ福音じゃない」(1995)。「韓国へ愛をこめて」(1995。これを読んだ金鐘文・駐日韓国大使館文化院長がわが家に来訪取材。そのあと韓国堤岩教会資料館に尾山令仁牧師とわたしの写真が掲載されたという)。「われらの師・酒枝義旗先生」(鈴木皇、佐藤陽二、藤尾正人共著)(1997)。「桝本うめ子・一世紀はドラマ」(1998。出版と同時に、山形新聞河北新報、秋田魁新聞、毎日新聞図書新聞などが書評欄に紹介)。「聖書のレッスン」(1999、5刷)。「ぶらんこに乗ったパウロ」(2000)。「基督教独立学園(100年)年表」(2002)。「藤尾貞子の百寿バンザイ」(2002)。「藤尾英二郎の水墨淡彩百選」(2003)。「いや喜びです」(2004)。徒手空拳、10年間、毎年1冊出した勘定になる。
同時に伝道の戦線を縮小させた。2000年には関西訪問伝道を「お見捨てになるのですか」との声を背にして終結し、都内家庭集会も解散。 2001年から自宅の白鷺えくれ舎の礼拝を月2回にし2002年には解散した。さらに懇望されてつづけた高槻・桜ヶ丘幼稚園集会や、岡崎・桐山家庭集会も2004年で終えた。また「アフリカと神戸俊平友の会」事務局長を2000年に、「新垣勉友の会」会長を2001年に退任。基督教独立学園理事も2000年に辞任し身軽になった。
しかし70歳台で、あらたに始めたことが二つある。一つはインターネットの「ホームページ」を1996年に開設し居ながらの文書伝道を開始。もう一つは、高さ80cm、径35cmの桜材に「十二使徒群像」を2003年から彫り出したことだ。だいぶ形も出来て、84歳の老人、楽しみながら彫っている。いまふうに言えば「around seventy、バンザイ!アラ・セ!」。そしていまは「アラ・エイ!」だ。「エイ!」「エイ!」「around eighty !」。のんきなじいさん。(写真は5月の十二使徒)

「なんという恵み、なんという喜び」(詩篇133・1)