八道江山(パルドガンサン)

42年前の1967(昭和42)年、わたしは初めて韓国を訪問した。そのときソウルで「八道江山」という映画を観た。8人の娘を持つ父親が、韓国の8つにわかれた「道」すべてに住む娘をたずねる筋書きで、韓国の名所案内にもなると聞いて出かけた。ただしこの八道はむかしの八道ではなく、分断された朝鮮半島の南半分の五道のうち、3つをさらに二分して八道としていた。
李王朝は全国を京畿(キョンギ)、忠清(ジュンチョン)、慶尚(キョンサン)、全羅(チョルラ)、江原(カンウヲン)、黄海(ファンヘ)、平安(ピョンアン)、咸鏡(ハンキョン)の八道にわけ、中央から官僚を派遣し国を治めた。その八道それぞれに民衆の気質の表現があると聞き驚いた。
日本でも「東北健児」とか「九州男児」とか「京女」「坂東武者」とよぶが、各府県の気質をあらわす言葉はないので面白いと感心。
慶尚道」は日本にいちばん近い釜山がある道だが「峻嶺孤岩」(チュンリョンコアム)という。この「孤岩」が、さきごろ岩山で自殺した魯武鉉前大統領を思い起こさせて痛ましい。その西の「全羅道」は「風前細柳」(プンチョンセリュウ)。これは政治家・金大中、詩人・金芝河など反権力の土壌が深く、光州事件でも知られる<反骨の道>のイメージとは合わない気がする。その北の大田に道庁がある「忠清道」は「夜光名月」(ヤグアンミョリョル)。穏やかな性格の意味か。そして首都ソウルの「京畿道」は「鏡中美人」(キョンチュンミイン)。自意識過剰。東海岸の「江原道」は「岩下老仏」(アムハノプル)。今も江原道出身者はがまん強いというが、日本の東北健児に通じる。
さてここからは今の北朝鮮になる。黄海に面した「黄海道」は「石田耕牛」(ソクチョンキョンウ)。むかし土地がやせていたのか。ピョンヤンのある「平安道」は「猛虎出林」(メンホジュリム)。いかにも無茶をやる今のキム・ジョンイル体制そのものだ。そしてミサイル発射や、核実験をした日本海と中国にはさまれた「咸鏡道」は「泥中犬闘」(イチュンキョントウ)。これも、もがき闘う北朝鮮の姿に重なる。
しかし韓国・朝鮮の人たちは面白い。ユーモアがあり、詩があり、哲学がある。キリスト信仰を語るさいもこの三つが大事だ。日本の教会の説教題にこれが欠けていないか。
ダビデは、名をエッサイという人の息子であった。エッサイには八人の息子があった」(サムエル上17・12)