ストケシア咲く

shirasagikara2009-06-15

庭のストケシアがあちこちに咲いた。濃い紫色の清楚な花だ。わたしが洗礼を受けた浅田正吉先生のお好きな花だ。だから「浅田正吉著作選集」の扉のカットに入れた。画家の井崎昭治さんが描いてくれ紫の色刷りにした。1964年のこと。
このアメリカ原産のキク科の花は、日本ではルリギクとよばれ、5月から秋まで咲く。くきは40cmばかり、花の大きさは10cm。すこし離れたところで咲いているのは白紫だ。長い線葉のほか、花の首まわりに小さな葉っぱをマフラーのように生やしている。それがまた花に風格をそえる。それに紫の花の中の細い数十本の白いオシベも可憐。
わたしがこのストケシアを気に入っているのは、花が美しいだけではない。その根強さだ。この花のそばに咲くヒガンバナは、秋、華麗な花を咲かせたあと、冬、葉を群生させても春には葉は消える。しかしストケシアは、春秋はもちろん、きびしい冬も「わたし、ここにいます」と、地面にへばりついて細長い葉をつける。たいていの草花は冬は葉も落ちるのにふしぎな強さだ。
それに日が暮れると、花は「すこしお休みします」とばかり、花をつぼめる。ウメや、サクラや、ツバキのほか、バラも、ヒガンバナも、スイセンも花びらを閉じて「お休み」しない。
ストケシアは、花が美しく、清楚で、気品があり、冬の寒さにも耐え、しかも、開き放しではなく「開いて、結んで、朝の光で、また開く」とリズムがある。
この2009年6月は、日本が鎖国から開港に転換して150年目にあたる。待ち構えていた殴米の宣教師は日本に上陸した。そして150年。キリスト教はいまだに人口の1%だというが、その存在感は10%はあろうと、前週のブログに書いた。たしかにキリスト教は、少数とはいえ、日本の中で名誉ある地位を占めている。先輩クリスチャンの主にある熱心のゆえだ。
それはストケシアのように、根強く、美しく、力いっぱい開き、また休む、品格のある1%=10%でありたい。
「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」(ルカ12・32)