「腰」と「背中」と「首」の敬意

テレビを見ていて、日本人と、韓国人と、欧米人の違いを強く感じるのは敬意を表す姿勢だ。日本人はアナウンサーでも、古い民家を案内するさい、鴨居は低くないのに、腰をかがめて入り、説明にも腰を折っている。謙遜の姿勢だ。いま韓国の時代劇「イ・サン」(NHK・BS2/日曜夜)がお気に入りだが、そこでの侍女、侍臣は、おしなべて腰はかがめず、背中を曲げ、首を垂れている。これに反し、欧米人は目上に挨拶するさいも、背筋を伸ばし、首を下げるだけだ。貴婦人は足をかがめて腰を落とすが、背筋は曲げない。
つまり欧米人は「首」で、韓国人は「背中」で、日本人は「腰」で、相手への敬意を表すのだ。
そのためか、日本語には「腰」にかんする用語が多い。その「腰」は脊椎と骨盤の連結部分で、ウエストからヒップにかけて、山を越えるような曲線を描くので「越・腰」と呼ばれたという。
「腰が強い」は、人間の粘り強い性格にも、ソバやうどんの粉の弾力にも使われる。「二枚腰」は相撲の粘り。「腰を割る」は、相撲で「腰を落とし」両足を開き膝を曲げて相手を押し出す姿勢だ。「腰を入れる」「腰を据える」は本気の意味。「腰を落ち着ける」は定着のこと。「腰砕け」「腰を引く」は中途での退却。「腰抜け」「腰を折る」は屈服。「腰を浮かす」「腰がない」は臆病な「逃げ腰」。「腰が重い」は無精者。「腰が低い」は謙遜で、「腰が弱い」は弱気だ。「腰を打ち抜く」は、おだてあげることだし、「腰を押す」は後援。「腰をよじる」は腹の底からの大笑い。「腰をかがめる」は相手をうやまう姿勢で、すでに「紫式部日記」での用語だ。日本人がいかに古くから腰をかがめ、相手への敬意と、みずからの謙遜の姿勢を表したかが分かる。
しかし、「腰をかがめる姿勢」は謙遜と卑屈が隣り合わせだ。21世紀の日本人は、それこそ腰を据えて胸を張り、背筋を伸ばしつつ、相手への敬意を表したいものだ。しかし平安朝いらい1000年の習慣だ。なかなか直るまい。しかし直したいもの。
聖書には 優勢な敵との戦闘のさい「まず腰をすえて(勝てるかどうか)計算しない者がいるだろうか」(ルカ、14・28)とある。イエスも大事なことには「腰をすえてかかれ」と教える。腰をかがめるのはやめても、腰をすえることはやめることはない。
「王は恐怖にかられて、腰が抜け、膝が震えた」(ダニエル5・6)