「主をほめまつれ」

いやーあ、よくつづいたものだ、60年も。人間わざではない、神わざだ。日本の中心の東京の、そのまた中心の国会議事堂と並び建つ国立国会図書館。働く職員は900余名。その中でひとにぎりの職員が60年も聖書研究会をつづけてきた。
11月7日(土)の午後、わが家に国立国会図書館聖書研究会のOBや現役の方々が見えた。うれしいことに「主をほめまつれ〜国立国会図書館聖書研究会 60周年記念文集 1948―2008」(B5判、76p、写真25枚掲載、09年9月30日発行)をたずさえてお出でになった。
いまの赤坂・迎賓館、むかしの赤坂離宮のなかに国立国会図書館が開館したのが、1948(昭和23)年6月5日。それより早い5月26日に、聖書研究会は赤坂離宮の地下会議室で始まった。わたしはその創立にかかわったので「記念文集」をお届けくださったのだ。
1945年の敗戦後のあの時代、日本中がキリスト教づいた一時期があった。日本の中央官庁でも、雨後の筍のように聖書研究会がうまれた。衆議院参議院国立国会図書館、外務省、大蔵省、文部省、厚生省、労働省、郵政省、電気通信省人事院会計検査院、裁判所(東京地裁、地検、高裁、高検合同)、国鉄、警視庁、貯金局、保険局、日本銀行など。
ところが、いまもつづくのは、国立国会図書館の聖研と、電気通信省の流れをくむNTT、KDDI聖研くらいだ。なぜか。中央官庁では転勤が多く、中心にいた聖研メンバーが異動してさびれたと聞いた。また職員自身が聖書の話をせず、牧師など外部講師に頼ったところも消滅したという。国立国会図書館聖研がつづいたのは、転勤がなかったことと、原則として職員が交互に集会の責任を負い、月に一度は外部講師にお願いし、しかも超教派の交わりをつづけたことがよかった。
しかし60年というと、転勤はなくとも、聖研の中心メンバーがつぎつぎ退職し、代がわりするわけで、これは主が、つぎつぎ熱心なクリスチャンを新しく職員として送り込んでくださるからこそつづいているのだ。人間わざではない、神わざだ。まさに「主をほめまつれ」につきる。
「ハレルヤ。新しい歌を主に向かって歌え。主の慈しみに生きる人の集いで賛美の歌をうたえ」(詩篇149・1)