根を張る

この11月末、20年住みなれた2階から1階へ移る予定。106歳の母・貞子がこの1月に天へ召され、母と1階で同居して面倒をみてくれた妹の桜井初穂と、主人の桜井宣隆さんが、10月に小平市へ移転したからだ。毎日、2階と1階を往復している。1階におりると庭が近い。その庭は思い出の木々ばかり。
わが家の庭で、一番高い木は「ユズリハ」。隣家のベランダの目隠しに植えたが、その任務は果たしている。二番目は「モチノキ」。地味な緑の花をつける。三番は「シイノキ」。これは幹が太く穴があり、そこからツタが宿り木となり生えている。四番は「ハナミズキ」。名古屋の友人が乗用車で運んできたが今は高木。五番は「モクセイ」。秋にオレンジ色のじゅうたんを根方に敷く。六番は「ウワミズサクラ」。山形の基督教独立学園からいただいた。七番は「ツバキ」。八番は「カエデ」。九番は「ムラサキモクレン」。今年52歳になる長男の小学校入学記念樹だ。そして十番目は「ゲンペイシダレモモ」。いまの家の改築記念に植えた。四方に枝垂れて上背はない。
その「シイノキ」「モチノキ」「ツバキ」「カエデ」を除き、すべてわたしが植えた。だから木々に愛着がある。そして木が根づく強さに驚嘆する。どの木も一所懸命だ。たがいに根を張り自己主張する。大きな木は、こんなところにと驚く先まで、時に地上に太い根をあらわし、また沈んで木を支えている。
キリストの教会も大小さまざま。そして教会の根っこも外からは見えない。「あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです」とはパウロのことば(ローマ11・18)。ときに教会内で人間の思いが前に出て、キリストに心から聴く態度がうすれると、対立や党派心が生まれ、大きな教会が急にさびれることがある。会衆があっというまに消えることがある。、キリストに根を張っていないからだ。人は会堂の「大きさ」や、会衆の「多さ」で教会を量るが、キリストに根をはった教会こそ風雪に強い。
「キリストに根を下ろして造り上げられ、教えられたとおりの信仰をしっかり守って、あふれるばかりに感謝しなさい」(コロサイ2・7)