本物を見る、トルコ点描

奇岩と地下都市で有名な、トルコ中部のカッパドキアから、西の地中海のイズミール(聖書のスミルナ)までの800キロを「パウロの伝道の跡をたずねる旅」の貸切バスで走った。1996年の春だ。わたしたちはバスだが、使徒パウロはそれを歩かれた。
とちゅうサービスエリアのトイレに入った。ずらりと並んだ男性便器にぜんぶ小さな鏡がついている。しかも斜め下向きに。友人と顔を見合わせた。「ナニコレ」。
トルコ人ガイドに聞くと、イスラム教では、男は首から下の毛は剃らねばならない。男性の下の毛も麦粒よりのびていないかと、チエックするための装置だという。そこはトルコでもイスラム原理主義が強い場所だからというはなし。
その夜、コンヤ(聖書のイコニオン)のホテルに泊まった。地下にトルコバスがあると聞き、友人と3人で入った。まずバスタオルをもらい、大きなサウナに入る。汗をかいたあと、つぎは大理石づくめの天井の高い浴場。湯船はない。中央に腰の高さくらいの3メートル・6角形の大理石の台。その上に3人が横たわると、ほかほかと暖かい。周りのそびえる壁には10ヵ所ほど洗い場がある。その壁裏にベッドがあって、そこでヒゲモジャの男性サンスケの垢すりだ。韓国のモギョクタン(沐浴湯)と同じく、徹底してこすられる。さらに洗い場で頭から足まで泡だらけに洗われ、最後は湯をぶっ掛けられて終わり。ああ疲れる。
日本では一時「トルコ風呂」といえば売春の別名詞になり、トルコ政府の抗議でその呼び方は廃止された。本場の「トルコバス」は清潔そのもの。
何事も本物を見なければわからない。カッパドキアのすごさも、トルコバスの清潔さも。キリスト信仰もそうだ。感謝なことに、これまでわたしは本物のクリスチャンに数多く出会った。キリストのためなら命もおしまぬ方々だ。この本物づくめを見たことがよかった。とくに日本のクリスチャンは、少数とはいえ、いや少数だからこそ、良心的集団として日本のなかに存在感をしめしている。家族、師友ことごとく、純粋にキリストを喜ぶ信仰なのがうれしい。
「アンデレは、まず自分の兄弟シモンに会って、『わたしたちはメシアに出会った』と言った」(ヨハネ福音書1・41)