南無アッパの信仰告白

shirasagikara2009-12-14

2009年12月14日(月)の昼。わが友・勝原文夫君が、キリストを信じる信仰告白をしてクリスチャンになった。うれしいかぎり。彼の住む、さいたま市のマンションの一室で、彼の長男のお嫁さんと、わたしのまえで告白した。(写真・右が勝原文夫、左は藤尾)
じつはこの春、彼は喉頭がんの疑いで検査を受けることになった。その前にわたしを招いて、もしものさいはキリスト教で葬儀をしてくれと頼んだ。そのころから、心はキリスト教に傾きはじめていたのだ。ところが喉頭がんでなく一安心。そのあと7月から毎月、彼をたずねて信仰談義をつづけた。11月2日のブログに「信仰によりて義とされる」と書いたのは彼のことだ。
彼は聖書もよく読み、キリスト信仰がわかってきたので「洗礼するか」と聞くと、「洗礼はいやだ」という。彼のまわりには不思議とクリスチャン、それも無教会の信徒が多い。それでわたしは矢内原忠雄先生の「キリスト教入門」(角川選書3)の164ページに「決心しなければだめだ。決心しても黙っていてはだめだ。、、自分以外のだれかに自分の信仰を言い表わせばよいのです」の文章をしめして、信仰告白をすすめた。そして今日という日になった。去年も4人の方の洗礼にあずかったが、いずれも水のバプテスマ。ただの信仰告白は初めてだ。そこでつぎの一文を考えた。
「勝原文夫さん。あなたはイエスをキリスト・救い主と信じますか。あなたはイエスの弟子としての道を歩くことを誓いますか。いま勝原文夫さんが、イエスを信じる告白をされました。よってしもべは、勝原文夫さんが、父と子と聖霊のみ名において、キリスト信者であることを宣言します」。
勝原君は、わたしの質問に「はい」と答え、うれしい集会は終わった。
彼はカトリック神父・井上洋治の「南無アッパ」のことばが好きだ。「南無の心に生きる」(筑摩書房2003)。井上神父の「南無」は梵語で帰依する、明け渡すの意味があり、アッパは、イエスの祈りの最初に出てくる親しい父への呼びかけだ。「朝目覚め命なりけり南無アッパ」(井上洋治)。「さやけしやひとり祈るも南無アッパ」(勝原文夫)。

「人は心で信じて義とされ、口で公に言い表わして救われる」(ローマ10・10)