無教会集会の三つの問題

この11月から12月にかけ、三つの無教会集会からお招きを受け講演した。11月1日(日)は大阪聖書研究会。会場は大阪駅前第2ビル。12月6日(日)の浦和キリスト集会さいたま市民センター。12月20日(日)の、雪の新潟聖書研究会は土地改良会館。いずれも熱心で誠実な、心地良い集会だった。しかし問題も感じた。
無教会といってもご存知ない方もいるが、日本の代表的クリスチャンの一人の内村鑑三が唱道したキリスト教だ。牧師などの教職はなく、平信徒が集会、伝道の責任をもつ。会堂を建てないで会場を借りる。洗礼、聖餐などの儀式的要素は排し、イエスの純粋な福音を守り伝道する。1930年の内村の死後、崇拝者たちが内村流の集会を各地に起こしたが、80年たったいま深刻な問題を抱えている。
第1は伝道の問題。内村のつぎの世代には、彼の影響を受けた熱烈な伝道者が輩出し、内村に倣い信仰雑誌を発行して盛んに伝道したが、いま専門の伝道者は少なく、雑誌も途絶えがちで、小集会が身内で小部数出すのがやっとだ。つまり外への伝道の姿勢がない。
第2は会堂の問題。ふつうの教会は、会堂で朝の教会学校、入門講座につづき、礼拝、愛餐会、午後の青年会、婦人会、壮年会があり、週日の聖書研究会、祈祷会、信仰相談や、外に対しての伝道集会、講演会、音楽会、バザーなど、さまざまな活動があるのに、無教会は会場を借りるため、昼になれば追い出される。つまり教会活動のうち、朝の2時間だけを切り取って、ほそぼそと集会をしているのにすぎない。
第3は信仰の継承の問題だ。無教会の信徒は、おしなべてまじめで、よく聖書の勉強をし、それも聖書の原語を駆使する知識層もいるが、わたしの見るところ子どもたちへの信仰の継承が弱い。なぜか。親は熱心に集会にゆくが、その姿を子どもたちが見ないからだ。教会には親子づれで出られるが、無教会の集会には親子づれで出る雰囲気はない。ふだん、ぐうたらな親父やママが、主の前でまじめに上を見上げている姿を子どもが知らないのだ。
その点、わが師・酒枝義旗先生は、無教会の流れに立ちつつ、待晨会堂を建て、日曜学校、求道集会、礼拝、婦人会や愛餐会、洗礼、聖餐を平信徒が、今もつづける自由さと、先見の明に驚く。しかしそこでも月刊「待晨」は廃刊した。

「集会を怠ったりせず、むしろ励ましあいましょう」(ヘブル10・25)