これでもか、これでもかの祝福

shirasagikara2009-12-27

雪の新潟で、12月20日の午後、新潟聖書研究会の感話会があった。そのとき、ひとりの方が「2009年は、これでもか、これでもかという祝福の年だった」と話された。わたしも同じ思いだ。
1月21日、母が主のもとへ召された。106歳だった。いまの日本では100歳を越す方は3万人を数えるが、106歳まで生かされた母はまだ稀有の存在だ。しかも息子、娘、孫、ひ孫にかこまれ、自宅で介護士の方々の手厚い看護を受けた。記念の「百歳からの藤尾貞子」も出すことを許され、市谷の私学会館の別れの会には、女性だのに200名も参列いただいた。主に感謝。
10月末で、2003年から彫り始めた「十二使徒群像」を、彫り止めにした。細かい作業をするさい目も、手も衰えたからだ。題して「決意」。うつむいて金袋をにぎるユダ以外は、それぞれの方角を見つめる。手に手にさまざまなものをつかむ。ペトロは天国の鍵、アンデレは6尾の魚を6大陸に見立てて大網で背中にからめる。ヒリポは「ΙΧΘΥΣ」の旗手(写真)。マタイは巻物の福音書。タダイは自身殺された槍。熱心党のシモンは小さな木の十字架。アルパヨの子シモンは聖霊の剣。バルテマイは子羊。トマスはカギ尺。ヨハネはランプ。ヤコブはΙΧΘΥΣ印の魚といったぐあい。未完成だが、なんとか形はできた。感謝。
12月14日、86歳の勝原文夫君がキリスト信仰を告白された。わたしは子どものころ、医者から20歳までは生きないといわれたのに、もう85歳。こんなに長生きしたのはなぜかと、いぶかっていたが、「ああ、そうか、勝原君が入信するため、わたしを生かされたのだ」とわかった。彼は国立国会図書館調査局での、わたしの一番の親友。農業経済の専門家で、「農の美学」「村の美学」「環境の美学」で、いちはやく景観論を唱え、第8回「田村賞」を受け、徳山女子短大学長にもなった。そのころの彼の句は「入学式無神論学長『聖書』引く」。それがキリストへ回心したのだ。うれしききわみ。感謝。
もう一つある。11月27日、2階から1階へ転居した。母召天のあと、母と同居して世話をした妹夫婦が移転したからだ。ひと月かけて、やっと落ち着いてきた。父や母が召された場所だ。たぶん、わたしも、ここで召されるだろう。大いに感謝。感謝、祝福の2009年。
「主が年の初めから年の終わりまで、常に目を注いでおられる」(申命11・12)