十二使徒群像「大先輩ペトロ」

shirasagikara2010-03-01

十二使徒の棟梁はシモン・ペトロ。「共観福音書」と「使徒言行録」の4つの「弟子一覧表」で、すべてトップはペトロ、ビリはユダだ。わたしの群像でも、上段中央にすえた。右手に黄金の「天国の鍵」を握らせ、左手に大きな玉を持たせた。そして両足はブーツを履き、脚半(きゃはん)を巻き、「いざ伝道に」と勇む姿だ(写真)。
ペトロは最初、ガリラヤ湖で網を投げている姿をイエスに見られた。イエスは、いまの仕事に熱中しているその現場から弟子を選ばれる。
この無名の漁師が、世界の有名人になった。ローマ・バチカンの<サン・ピエトロ・バシリカ>の正面の大扉に、さかさ十字架で殉教するペトロの姿が彫られている。こうして彼は歴代のローマ教皇を後継者とする初代の人物に祭り上げられた。
思うに、ペトロほどイエスを身近に見つめた人物はいない。「われに従え、人間を獲る漁師にする」と叫ぶイエスを驚き見た。不思議な大漁、高い山の変貌、ラザロの復活、湖上を歩くイエス。荒野での5千人の給食。盲人やハンセン病に触れつついやされる手、そしてペトロの足を洗い、パンとブドウ酒を与えるイエスの手を見つづけた。さらに山上の説教や、度肝を抜かれるたとえ話を、さっそうと語られるイエスを仰ぎ、神殿粛清の荒々しい姿も、復活の空の墓も、湖畔で「われを愛するか」と声をかけるイエスも見た。
つまりペトロは、すばらしいもの、うれしいもの、すごいもの、真実なもの、聖なるものを見つづけたのだ。そして彼自身変えられた。イエスも「この男は教会の岩」と信頼して天国の鍵を授ける。
カトリックは彼を聖人にしたが、彼はイエス在世中も、不信で湖に沈み、ゲッセマネで眠りこみ、三度イエスを否認した。いざというとき異邦人を恐れ、パウロに叱り飛ばされる弱い男だ。ただ誠実で、人生の方向を、まっすぐイエスに向けた。「あなたはメシアです」「わたしはその復活の証人です」と、「無学の凡人」がイエスを指さした。
ペトロを聖人に祭りあげてはいけない。偉大な、愛すべき「大先輩ペトロ」なのだ。
「わたしたちが救われるべき名は、天下にこの(イエスの)名のほか、人間には与えられていないのです」(使徒言行録4・12)