ペリカン書房の品川力さんとわたし

品川さんと初めて会ったのは50年まえの1960年だ。場所は三宅坂国立国会図書館仮庁舎。用件は、わたしが西村関一という牧師の国会議員から、内村鑑三の非戦論文献を求められ、オカノユキオ君のキリスト教図書出版社の出版案内に、毎号、品川さんが「内村鑑三研究文献」を連載されていたのを思いだし、連絡したのが始まりだ。
おかげでその秋、ぶあつい「品川力編・内村鑑三研究文献目録」が、国立国会図書館調査局からタイプ印刷ながら刊行でき、「図書新聞」にも紹介され、品川さんはとてもよろこんでくださった。(1968年に明治文献から増補版が刊行)
おどろいたことに、品川さんは、いつも本郷の赤門まえ落第横丁のペリカン書房から、愛用の自転車をこいで、坂をくだりのぼりしてやって来られた。冬でも半袖で「暑い暑い」と、扇子をパタパタあおがれる。
品川さんは「奇人」で「貴人」といわれた。「奇人」というのは、頼まれた古本を見つけては、自転車で届ける「神に仕える文献配達人」と称され、はるか武蔵野市串田孫一の自宅までしばしば自転車をこいだ。また私欲がなく、日本近代文学館駒場にできたさい、ご自分所蔵のおびただしい貴重な文学関係資料を、何度も自転車で寄贈されたからだ。
「貴人」というのは、その白髪、白皙の、「アンアン」に載ったという端正な風貌。織田作之助が品川さんら三兄妹を「聖家族」と評したほどの人間の質の高さだ。
じつは、品川さんは本屋の前、ペリカン・ランチルームというレストランを経営した。そこへは、大塚久雄大河内一男、牧野英一らの学者や、太宰治織田作之助田宮虎彦武田麟太郎らの作家が出入りし、織田はペリカン・レストランを発行所にして「同人誌・海風」を発行し、品川さんが雑務をひきうけた。日中戦争で本屋に転向したのだ。
あるとき、わたしが探している本を電話すると、「それは駿河台下から何軒目の本屋の、入って右から何列目の上から何段目にあります」と言下に答え、たまげてしまった。わたしはペリカン書房にも何回かうかがい、足の踏み場もない奥の部屋にあげられ、あのニコニコ顔の吃音で、よもやま話をした。きのう、ふっと品川さんを思い出しブログに書き留めた。新潟県柏崎出身の、父親ゆずりの内村鑑三の弟子。2006年、102歳で召された。
「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい」(マタイ23・11)