自転車とキリスト信仰

shirasagikara2010-05-17

むかし、白洋舎を創立された五十嵐健治様の、茅ヶ崎のご自宅にまねかれたとき、「わたしは80歳まで自転車に乗っていました」と言われ、びっくりした。そのころ34〜5歳だったわたしは、「うへ〜80歳まで!」と驚いたのに、いま85歳にもなって、自転車で走りまわっている。当時五十嵐健治様は85歳だった。
わたしは75歳でくるまの運転をやめた。以後10年、近所まわりは、歩くか、バスか、自転車ですましている。白鷺の自宅から、1キロあまりのJR中央線阿佐ヶ谷駅かいわいや、2キロの荻窪駅、5キロ離れた中野駅あたりも自転車だ。
北へ走って5分ほどのスーパー「OK」へよく買出しにゆく。途中の四つ角に待晨集会の内田君夫・真鶴さんの家がある。その石塀の角に「キリスト教待晨集会」の案内板が立っている。そこを左にまわれば10秒で酒枝先生のお屋敷や待晨会堂がある。わたしは左折しないで、そこから始まる急な坂を一気にかけくだる。帰りは重い買い物を前後のかごにつんで、その坂を手前の妙正寺川にかかる鷺宮橋から助走をかけ、1段、2段とギアをきりかえ一気にのぼる。気分がいい。
南の阿佐ヶ谷へは、けやき並木の大通りの歩道をゆっくり走る。亭々とそびえる大木が約300本、近くの早稲田通りから阿佐ヶ谷駅をはさんで青梅街道まで、1・5キロ余も延々とつづき、枝をさしかわし、はるかかなたまで空を狭める。チリン、チリンとベルを鳴らすと、うしろ向きにならんで歩いているかたがたも、道をあけてくださる。(写真はケヤキ並木の中杉通)
自転車は2輪で走る。不安定だ。しかし乗りこなせば、すいすい走る。キリスト信仰もそうだ。目に見えない神さまや、キリストさまを信じて、不安定に見える。ところが、キリスト信仰で生きるこつがわかると、すいすい走れる。気分がいいし、楽しい。楽しく走っていると、「わたしも走ろうかしら」、という方がふえてくる。
自分の教会を大きくするのはやめましょう。キリストが大きく見える教会を目指しましょう。そのキリスト様を大きく喜ぶ教会になりましょう。
自転車はちいさな道具だ。それを乗りこなすのだ。ちいさな教会でも、気分がよく、楽しく、はちきれる喜びがあれば、「わたしもいっしょに」というかたがふえること請け合い。
「神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走る」(フィリピ3・14)