二度、沖縄を切り捨てた日本

「それはないだろう、鳩山総理!」と言いたいのは、沖縄の普天間基地問題だ。「5月末までに腹案がある」などと言ったあげくの県内移設。しかも鹿児島県あげての徳之島移設反対。
1975年、初めて沖縄をたずねたとき、初対面の県庁の役人から「あなたは鹿児島県出身か」と聞かれた。国立国会図書館調査局の「本土復帰後の沖縄調査団」での渡航で、わたしが団長だった。「いいえ」と答えたが、そのひとことに、ウチナンチュウ(沖縄の人々)の、鹿児島県への反感が読みとれた。
薩摩藩は1609(慶長14)年、いきなり琉球に攻め込み、琉球王国支配下におき、砂糖貿易の利益を独占した。以後260年にわたる薩摩藩の存在は、薩摩に対する琉球の嫌悪感をつのらせた。そしていま、普天間基地の徳之島移設で、鹿児島では、県も地元も絶対反対を唱えている。沖縄の人々は、あらためて鹿児島県民や、ヤマトンチュウ(本土の人々)の理不尽さに怒り心頭ではないか。
じつは、近代日本が国際社会に加入するさい、2度、日本は沖縄を切り捨てた。
最初は1879(明治12)年、明治政府が琉球沖縄県編入すると、清朝も領有権を主張し、日本は先島諸島とよばれる、宮古、石垣、西表などの島々を「とかげのしっぽ」として清国に割譲することを提案、仮調印までされた。これには李鴻章も、日本海軍も反対し、結局、日清戦争琉球全島が日本領となった。
2度目は1951(昭和26)年のサンフランシスコ平和条約。日本が国際社会に復帰するさい、奄美群島や、琉球列島など、米軍が実効支配していた地域を切り離して講和・安保条約に調印した。ここでも「とかげのしっぽ」を切ったのだ。壮絶な地上戦を経験した沖縄の無念が思いやられる。
旧約聖書の「士師記」の終わりにも「とかげのしっぽ切り」の話がある。イスラエルの12部族の12番目の「しっぽ」のベニヤミン族が罪をおかしたとき、他の部族と内戦が起こり、ベニヤミン族が殲滅された。しかし彼らは兄弟争いを悔い、ベニヤミン族の復興策を講じた。
そうだ、日本人同士が争っている場合ではない。本土と沖縄、鹿児島と琉球が対立してはならない。ともに米国にたいして、その身勝手な米軍再編、基地居座りに抗議すべきでないか。政権交代は鳩山総理がその先頭に立つチャンスだった。いま、スジとして共産党社民党が正しい。
イスラエルの人々は兄弟ベニヤミンのことを悔やみ、『今日イスラエルの中から一つの部族が切り捨てられた』」(士師記21・6)