今あなたは微笑んでいますか

河野進詩集「今あなたは微笑んでいますか」を、あるかたが送ってくださったとき、わたしは河野進先生の詩は大すきだけれど、「いやな題名だ」と、そのとき開きもしなかった。
まるで、クリスチャンなら、いつもニコニコポンポン、微笑んでいなければいけないような感じをうけたからだ。悲しいときは泣けばいい。うれしいときは笑えばいい。押しつけがましく、おおきなお世話だと思われたのだ。
しかし、あるとき、ふと開いて自分の不明を恥じた。「今あなたは微笑んでいますか」は、河野先生のことばではなく、芸術座が上演し、映画にもなった、カトリック信者・北原怜子のことばだった。疲れ果てた彼女が、自分自身に言い聞かせたことばだった。

蟻の町のマリヤと呼ばれる北原怜子は
東京山谷のスラム街にはいりこみ 死に瀕する
病人や餓死寸前の人々の世話に忙しい
どこから来てどこにとまるか聞く余裕さえない
彼女もついに結核に襲われ三〇歳で八年間の奉仕を終る
肌身離さず持っていた手帖の所々にしるしていた
 今あなたは微笑んでいますか
死と微笑みの戦いでさえあったと人々は泣いた

「微笑んでいますか」は、ひとに押しつけることばではなく、墨田川岸の「蟻の町」とよばれたバタヤ部落で、疲れた方々の友となって、自分も疲れはてたとき、自身に言い聞かせたことばだった。
良家のお嬢様が、通いで奉仕するのは偽善と感じスラムに住みこみ、日雇い労働者や、その子どもの面倒をみた。その信仰は、いま「蟻の町のマリア・カトリック潮見教会」に引き継がれている。
河野先生の詩で好きなのは「浅い流れ」だ。「浅い流れは音が高い/わたしの祈りよ/言葉よ/行いよ/音が高くないか/深い流れは音をたてない」。本の表題で判断していたわたしは、まさに「浅い流れ」。自分に言い聞かせていた北原怜子は「深い流れ」。
「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある」(マタイ5・12)