凌霄花とアリの道

shirasagikara2010-07-12

わが家の門の脇に咲く凌霄花(のうぜんか)が満開だ(写真)。道ゆく人も見上げる。先年、ふと見ると、家のまえの道に、カンバスを置き、折りたたみの椅子に座って、凌霄花をスケッチされる女性がいた。聞けば、きのうもスケッチされたという。狭い道だ。車も通る。驚いて、花の枝を2、3本切ってさしあげた。よろこんで、スケッチはそれまでにしてお帰りになった。そのさい、「花や茎にはアリがいますから、くれぐれもご注意を」と申しあげた。
たしかにアリの勤勉には驚く。凌霄花の茎を切って、部屋で花瓶に飾るばあい、くどいほどアリのしまつをしないと、思わぬ花弁の底から、またしてもちいさな黒アリがあらわれる。よほど凌霄花の蜜が強烈なのか。それにしても茎といわず、花びらといわず、高くのびたはしはしまで、忙しげにアリがはいまわる。つまり、「アリの勤勉」と、「凌霄花の魅力」に驚くのだ。そんなにまでアリを引きつける凌霄花の蜜の強烈さ。遠路をいとわず、黙々と「アリの道」をつくって通いつづける熱心。
原始キリスト教会はそうでなかったか。キリスト信徒であることがわかれば、迫害にあった時代。陽がくれると人々は、大きな「家の教会」に集まった。それはイエス・キリストの十字架と復活の福音を聴くためだ。福音を聴くだけでなく食事もともにした。家の教会が、いのちがけで集う「アリの道」の終点だった。それほど福音に魅力があった。
内村鑑三が、1921(大正10)年1月から翌年10月まで、東京・大手町の衛生会館で毎日曜日に「ロマ書の講演」をしたころ、聴衆はいつも600人をこえ、遠くは名古屋や、栃木県・氏家からも毎週汽車で通う信徒がいた(政池仁「内村鑑三伝」)。
その内村の弟子の森本慶三は、若い日、岡山県の津山から、鳥取県の大山(だいせん)をへて、島根県の松江まで120キロ、そこで伝道していた英国宣教師・バックストンの話を聴きに歩いて行ったという。
内村や、バックストンが福音を語れば、まるで「アリの道」がついたように、人はせっせと通うのだ。教会の建つ場所がいいから人が集まるのではない。場所が不便だから人が来ないのではない。まことの「喜びの福音」が語られているところ、人は千里を遠しとしない。
「キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神」(ローマ9・5)
凌霄花殉教者のごと赤く散り敷きて」(正人)