「へとへとの敗戦」からの日本

「われ八十五はたちの夏ぞ国敗れ」(正人)
六五年前の一九四五年八月一五日、日本は連合軍に降伏しました。それは「へとへとの敗戦」でした。日本全国二三〇ほどの都市が空襲で焼かれ、五〇万人の市民が死にました。日本には米国のB二九爆撃機を迎え撃つ戦闘機もなく、連合艦隊は壊滅し息もたえだえでした。だから天皇の「戦争や〜めた」という放送で、へとへとの日本人は、ほっとしたのです。
しかし、ひとつの国が戦争に敗れるということは、すごいことでした。これまで神さまだった天皇が人間になりました。巨大な陸海軍は消滅。財閥は解体され、地主の土地は没収。小作人はすべて独立自営の農民になりました。言論が自由になり、労働組合が雨後の筍のようにでき、戦争を指導した政治家や官僚は公職から追放され、元軍人は肩身が狭く、警官は小さくなりました。そして主権在民の「平和憲法」ができたのです。
旧いものが、がらがらとくずれ、新しいものが、にょきにょきと生えました。当時、はたちすぎの青年だったわたしは、「敗戦とは、こういうことか」と感動しました。目の前で歴史が轟音をあげて動くのですから。
その「へとへとの敗戦」から六五年。いま日本は、世界の中で名誉ある地位を占めています。国内にいっぱい問題をかかえているとはいえ、大きく見ると、いちおう社会は安定し、経済力は群を抜き、インフラの整備もすすみ、先端技術も、研究開発力も世界の先頭集団を走り、MADE IN JAPAN は高級品の代名詞です。ノーベル賞学者も輩出しました。
なぜでしょう。江戸時代から二〇〇年、つちかった「日本の教育力」があったからです。へとへとでも、考える力、ものを造る力、組織を経営する力がある人材がたくさんいたのです。「日本力」の基礎は「知」のソフトにありました。
エスも、うちひしがれ、へとへとになった人々に、ただひとつ、「愛」というソフトを残して十字架で死なれました。壮麗な会堂や教団組織も「愛」というソフトなしにはむなしいことを見透かされていたのです。教会でも、家庭でも、会社でも、国家でも、いざというとき力を発揮するのは、「知」と「愛」のソフトなのです。 「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい」(ヨハネ一三・三四)