ああ楽しいかな、イエスを信じる者の余生!

近くの図書館で、芥川賞作家・絲山秋子の「北緯14度」(講談社・2008年)を借り出して読んだ。アフリカ西海岸のセネガルに2ヵ月住んだ紀行文だ。フランス語や現地語で、セネガル人と深く交わるが、その交わりは「言葉じゃないんだ」ということを学ぶ。「短い単語、平凡な言葉のなんと雄弁なことか」。「逆に、流暢な言葉は多くの物を壊してしまう」ことに気づく。
そのあと帰国準備を終え、「仕事も荷造りも早くに終わらせて、あとは何もすることはなかった」。「こういう余生を送るとしたらいやだな。全てが終わってから気が遠くなるほど待つ余生」としるしている(p242)。いやあ、参った。いまの自分を見透かされたような気がした。
じつは、2010年1月、わたしの「予定表」は真っ白だった。昨年までは「予定表」に書き込みがあった。それに、これをしたい、しなけりゃならぬ、といった意気込みがあった。それが、昨年1月、母が106歳で天に召された。母より早くわたしが死んではならぬ、という気持ちから解放された。また10月、死ぬまでにぜひ彫りたいと願った「十二使徒群像」も「未完成の完成」として彫り止めにした。つまり、2010年、85歳になって「全てが終わってから気が遠くなるほど待つ余生」が始まったのだ。
わたしの「予定表」が真っ白で、ず〜っとむこうまで何も予定がない。このとき、わたしは心底「うれしい」と思った。ぜんぶ、自分の好きなように使える毎日が初めて来たのだ。だが一方、母が106歳で召されたとすれば、母のDNAが入っているわたしも、あと20年は生かされるかも知れぬ。しかし85歳から20年もの「気が遠くなるほど待つ余生」の姿が描けない。
そこで考えた。もう85歳。遠い計画は立てない。1年、1年、毎日、その日を、主を喜んで生きればいい。そして自分の好きなこと、やれることをすればいい。家内の手助けをする。重い買い物は引き受ける。引退しているとはいえ伝道者のはしくれ、ネットに「信仰エッセイ」のブログを書く。これぞという方々に聖書の話をする。そして父のように「文人墨客」を目指す。自分の楽しみのため、素人なりに詩歌を詠み、墨をすって自分勝手流の書を書き、絵筆をとって下手はへたなりに絵を画く。ノミとツチで稚拙に木を削る。あとは朝寝、昼寝、夕寝と、し放題に好き放題だ。「ああ楽しいかな、イエスを信じる者の余生!」。
「わたしは、死ぬことなく生き長らえて、主の御業を語り伝えよう」(詩篇118・17)