不思議なイエスさまの伝道方法

エスさまは不思議なお方。その伝道がふつうの宗教家とちがいます。
ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し」(マルコ1章)とありますが、そのガリラヤは、日本でいえば静岡県熱海市沼津市に線を引き、その南の伊豆半島くらいの狭い地域です。どうしてローマや、アレキサンドリアへ行って伝道されなかったのでしょう。この『伝道地域の狭さ』が第一の不思議。
第二の不思議は、『一本釣りの伝道』を貫かれたことです。夜、ひと目をはばかって尋ねてきた議員のニコデモや、シカルの井戸のサマリアの女性にねんごろに教え、嵐のガリラヤ湖を渡り、一人の精神病者を癒し、そのため2000匹の豚を死なせるお方。荒野で5000人に給食しながら、「決心カード」も書かせずに網から逃がして「解散」させるお方です(マルコ6章)。底引き網ですくい上げる伝道はされませんでした。
三つ目の不思議は、『反宣伝の伝道』です。ふつう病気を治したとなると、そのへんの宗教家なら、ビデオに撮って宣伝したいところ。それをハンセン病を癒しながら、「だれにも、何も話さないように」と口止めし(マルコ1章)、盲人をひと目につかぬ村はずれに連れ出して目を癒し「村に入るな」「家へ帰れ」と命じ(マルコ8章)、また高い山でのすごい「変貌」も、だれにも話すなと注意されます。「イエスは人に気づかれるのを好まれなかった」のです(マルコ9章)。
最後は、『逃げの伝道』だったことです。弟子を伝道に派遣するさい、殉教の死まで抵抗するのでなく、「一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい」(マタイ10章)と教え、ご自身もイエス暗殺情報を知って「そこを立ち去る」お方でした(マタイ12章)。
これらのイエスさまのふるまいをみると、イエスの福音は、何万人いようと、一人、またひとりと伝わるのが原型なのです。そこから「狭い一か所」を深く耕し、「一本釣り」のような、きめ細かな伝道をされたのでしょう。本物は宣伝しなくても周りが認めます。もう一度、この『非能率で、へたな伝道』とみえるイエスの伝道方法を学んでみては、いかが。
「二人は目が見えるようになった。イエスは、『このことは、だれにも知らせてはいけない』と彼らに厳しくお命じになった」(マタイ9・30)