北緯35度の線上、藤原良経の時代の線上

毎日、墨を磨って小倉百人一首を書いています。きょうは、第九一番・藤原良経(一一六九ー一二〇六)の作です。
「きりぎりすなくや霜夜のさむしろに衣かたしき独りかも寝む」。
「きりぎりす(こおろぎ)が霜の降る夜に床下で鳴く。寒い筵に着物の片袖を敷いて独りさびしく寝るのだろうか」という歌ですが、彼は摂政太政大臣という最高官位の人物です。それが八〇〇年まえの日本では、暖房もなく寒い夜をすごしていたとは驚きます。
同時代、お隣りの朝鮮半島の高麗では、床暖房の温突(オンドル)が貴族階級から始まり、つぎの李氏朝鮮の時代に庶民にまで普及しました。なぜひょいと海峡をまたいだ日本にオンドルが入らなかったのでしょう。
緯度のせいだと思うのです。当時の日本の政権の中軸は京都ー鎌倉にありました。これらは北緯三五度の線上に並びます。これを西に伸ばすと、朝鮮半島最南端の釜山・木浦あたりです。つまり摂政太政大臣が寒いといっても凍える寒さではなかったのです。だから朝鮮半島中部以北と緯度が同じ北日本では、火力の強い囲炉裏が発達し、寒気がそれほどでない西日本では、足を暖める炬燵や手火鉢が普及したのです。
この北緯三五度をさらに西へ進むと、その線上近くの南北に、中国の洛陽や、西安長安)、イランの都テヘランがあり、レバノンあたりで地中海を突き抜け、モロッコで大西洋へ入ります。つまり京ー鎌倉は地中海と同じ線上にあるのです。
摂政太政大臣・藤原良経の時代、日本では法然が一一七五年に浄土宗を開き、源頼朝が鎌倉に武士の政権を打ち立てます(一一九二)。朝鮮では高麗が仏教の全盛期を迎え、モンゴルではテムジン(のちのチンギスカン)が権力を掌握(一一八九)。中国では北宋が滅んで南宋が栄え、欧州では第三回十字軍が組織され聖地に侵攻します(一一八九)。 その十字軍の時代に、日本では親鸞が仏教の宗教改革をしています(一二〇一年 親鸞の六角堂夢告)。ルーテルの宗教改革より三〇〇年も前です。きのう、一〇月三一日はルーテルの一五一七年の改革記念日でした。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」(マタイ24・15)