お召し列車はまだ来ない

わたしは、この2011年1月6日、満86歳になった。その夜、孫から「誕生日おめでとう」の電話。「おまえはいくつ」「12歳」「おじいちゃんは、お前の7倍・プラス2歳だ」「うへ〜」。すごいじじい。
子どものころ虚弱で、医者から「この子は、はたち(20歳)まで生きない」といわれた。そのはたちになったとき、戦死率の高い敵前上陸支援の船舶隊にいて、「なるほど、はたちで死ぬというのは、こういうことか」と納得した。それが敗戦。また生きのびた。それも、はたちの4倍・プラス6年も。
しかしわたしの母・貞子は、20009年1月21日、106歳で主の「お召し列車」に乗った。わたしが母の年・106歳まで生きるとすれば、まだ20年もある。20年といえば、「オギャー」と生まれた赤子が、はたちになるまでの年月だ。緊急に「20年対策本部」を造らねばならない。「お召し列車はまだ来ない」。
対策のひとつは健康面。ともかく自分のことは自分ででき、しかも、人様のお役に立つからだを保ちたい。まだ立ったままズボンははける。近所は自転車で走り回まわれる。脚力は弱ったが阿佐ヶ谷まで1キロあまりは歩く。満86歳になった朝、いつもは50回の腕立て伏せを86回やった。12cmの床の間に立ち50回前屈すると手の平が畳につく。この朝の10分運動をつづけることだ。
もうひとつは精神面。『彫刻』は2009年、十二使徒群像で彫り止めにした。左手親指の付け根がいまだに痛むからだ。痛みがやわらげばまた小さいものを彫りたい。いまハマッテいるのは『百人一首』。吉海直人監修「百人一首」(成美堂)を参考に、人物や時代をあたまに入れ、墨をすり、正月新しい筆をおろし、半紙で2、3回練習して、観音開きの折手本に清書する。それが3冊たまった。じつに楽しい。それと『水彩』。これは画きたいものがつぎつぎあらわれる。いただく果物、庭の花や葉。題材にことかかない。また毎週この『月曜ブログ』を書く。それに、ときどき話しておきたい人に聖書の話をする。いまのところ、この『聖書』『彫刻』『書道』『水彩』『ブログ』でここ数年はもたす。数年たてばこのうちどれかが、運動能力もふくめ崩れるだろう。「お召し列車はまだかな」。
「わたしは死ぬことなく、生きながらえて、主のみわざを物語るであろう」(詩篇118・17、口語訳)