パウロ、奴隷、キリスト、イエスの

同窓会に出て、当時の教師が出席されると、むかしの生徒は先生に頭があがらない。もう社会での地位は先生より上になっていようと、教師と生徒という関係は固まっていて、瞬時にむかしの調子に帰るのだ。
職場の関係も同じだ。社長、部長、課長という関係が固まっていて、同僚の葬儀などに出て、むかしの上司、同僚、部下に会うと、固まった関係が瞬時によみがえり、それがことばづかいにさえあらわれる。
もちろん、家族の親子兄弟の関係は、もっと固い関係でむすばれる。いくら歳をとっても、兄は兄、姉は姉で、弟や妹は兄、姉に一目おく。
この固い関係が解けほどける場所がある。キリストの教会だ。教会の礼拝に、同じ大学の教授と学生が出席していようと、同じ会社の社長と社員が出ていようと、神のまえでは一列同等。親子兄弟姉妹が礼拝しても、主キリスト・イエスの前では上下の関係は解ける。
使徒パウロは、紀元58年にギリシアのコリントからローマの家の教会に手紙を書いた。日本語聖書で25ページの長い手紙だ。その手紙をたずさえてきたケンクレア教会の女性奉仕者フェべがこの長い手紙を読んだ。自分の手元のロウソクの光に手紙を傾けて読んだにちがいない。その1章1節の書き出しはこうだ。「パウロ、奴隷、キリスト、イエスの」。なんとパウロは自分をキリストの奴隷とよんでいる。これを聞いたとき、奴隷が多くいたローマの教会の信者の中から驚きの声があがった。
しかも最後の16章で、パウロはまだ行ったこともないローマ教会のクリスチャンを、27人も名前を挙げ、ほめ言葉を添えて「よろしく」と挨拶を送っている。しかもそのうち14人が奴隷の名前だという。この人たちは、30分もかけてパウロの手紙を聞いた最後に、自分の名前が出てきて驚いた。なかでも奴隷たちはどよめいたとおもう。その教会には奴隷もおり、その主人もいた。しかし主人・奴隷という関係は解けて、主の前に一列同等だった。
日本の明治以降も、封建身分制の強いなか、教会では男女平等で未解放部落民もともに礼拝をしていた。そのため明治10年代、教会は爆発的に成長する。しかし20年代国家主義が台頭すると頭を抑えられた。その象徴が「内村鑑三教育勅語不敬事件」だ。ともあれキリストが、上下左右の固い関係を解き放ってくださるのだ。
「もはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたはみな、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(ガラテヤ3・28)