聖書の生徒は元学長

shirasagikara2011-01-31

1948(昭和23)年春、わたしが赤坂離宮に創設された国立国会図書館調査局に配属されたとき、ふたりの仲間がいた。石原義盛君と勝原文夫君だ。わたしを入れてこの3人はもつれるように仕事をし、勝原君とわたしは生涯の親友になった。石原君とは不思議なことに酒枝義旗先生の信仰の同門。
わたしが図書館を辞めて伝道者になったあと、石原、勝原両君は定年退職後、ふたりとも短大の教授になり、ふたりともその短大の学長になった。石原君は財政金融、勝原君は農業経済が専門だ。
その勝原君はキリスト信仰のそばにいた。彼が学徒出陣で陸軍輜重隊に入ったとき、ベッドの両となりはクリスチャンだったという。学生時代は大塚久雄、松田智雄、矢内原忠雄南原繁先生ら、クリスチャンの教授や学部長や総長のもとで学んだ。そして職場では石原、藤尾が両脇にいた。また彼のいとこの山崎孝子女史は津田塾大教授で、国会図書館聖研にも講師として長く話された。しかし彼は信仰を求めなかった。
それが2009(平成21)年春、口頭ガンの疑いが出て、わたしにキリスト教での葬儀を頼んできた。わたしは「よっしゃ」と引き受けたが、ガンではなかった。そこで2009年7月から、彼の住むさいたま市与野本町のマンションへ月1回聖書の話に通って、もう17回になる。
彼は聖書をよく読み、またカトリックの井上洋治神父の提唱する「南無アッパ」の信仰に共鳴する。「南無」は梵語で帰依するという意味だ。「アッパ」はイエスが神を呼ぶときの「父」だ。「南無アッパ」は父なる神に信頼しきる心だ。2009年12月14日、彼は素直に信仰告白をした。わたしは、なぜこんなに長生きをゆるされているのかと、かねがねいぶかっていたが、ああ、そうか、勝原君に主イエスさまを紹介するため86歳まで生かされたのだとわかった。毎月、足取りも軽く彼のもとへ通っている。家内は「まるで恋人のところへ行くようね」と笑う。
じつに楽しい勉強会だ。彼は指定した聖書の箇所を熟読して質問する。わたしは一介の伝道者だが、彼は痩せても枯れても元学長。その質問に答えるのは気分がいい。それに長男の嫁さんも耳の遠いふたりの通訳がわりに参加される。老年になってキリストを求めることに、遅すぎることはないのだ。神さまは不思議なことをされる。
「友の振りをする友もあり、兄弟よりも愛し、親密になる人もある」(箴言18・24 )<写真・右が勝原、左が藤尾>