なよなよとした朝廷と、豪腕の武将

日本は12世紀すえから19世紀まで、幕府という武士の政権がうちつづいた。いまでいう軍事政権だ。700年も軍事政権がつづいた国は世界にめずらしい。しかしヤンマーなどの軍事政権とちがい、幕府は国王ではない。京都に金も力もないがカリスマ的存在として天皇がいた。なよなよとした朝廷と、豪腕の武将が700年もならび立った不思議な国だ。
また徳川時代、250年間も平和がつづいた国は世界でまれだ。そのあいだ徳川幕府は、2、3の例外をのぞき、トップの将軍は祭りあげられ、老中や若年寄が実権をにぎって合議制で政治を仕切った。彼らは「和蘭(オランダ)風説書」などの「のぞき窓」情報で、アメリカの独立や、フランス革命や、ナポレオンの活躍など、おおよその世界情勢は知っていたが、外圧のないまま天下泰平ですごした。しかし黒船来航で仰天する。日本は四方が海という条件によって奇跡のように守られたのだ。そしてこの「ガラパゴス進化」の鎖国のなか、徳川末期の日本人の識字率・読み書き能力は世界最高に達し民度は充実した。
そして明治維新。その近代化を日本の民度の高さが後押しをした。そして新政権はまたも天皇をカリスマ的に祭りあげ、実権は枢密院や優秀な官僚群がにぎり、さらに陸軍参謀本部、海軍軍令部が急所をおさえる。つまり、織田信長や秀吉や家康らの天才の活躍は16世紀で終わり、17世紀から20世紀まで400年、江戸時代から、明治、大正、昭和にかけて、日本という国は、すごいリーダーなしに合議制でやってきた国だ。いまも天皇家は、なよなよしながらなくならない。いっぽう豪腕の天才武将は消えて、高い民度に支えられた小粒のリーダーが、菅だ、小沢だ、谷垣だと、がやがや言いながら、合議制でなんとかやっている。江戸幕府以来、日本人にしみついた習性だ。
考えてみれば、毛沢東や、ガンジーや、マンデラなど、強い個性をもつ偉大なリーダーが出る国は、逆に民度が低いのだ。
キリスト信仰も、なよなよしていて、折れない風情がいい。明治、大正期は迫害に耐える豪腕信仰が期待されたが、張り切りすぎては長つづきしない。地を継ぐものは一見弱々しく見えるものだ。イエスがそうだった。
「彼は争わず、叫ばず、その声を聞く者は大通りにはいない。、、彼は傷ついた葦を折らず」(マタイ12・19 )