頼むほうより、頼まれたほうが

shirasagikara2011-02-21

「フランクリン自伝」に、「借金の返済期日は、金を借りた人より、金を貸した人のほうが注意深い」とあった。借金を頼んだ人は、金を手にすると案外返済期日までのんきだが、金を貸したほうは、返すかどうかずっと気にしている。
これは講演を頼んだ人と、頼まれた者との関係と似ている。頼んだほうは講演当日までくよくよしない。しかし引き受けたほうはずっと気にかかる。
じつは昨年11月、「今井館聖書伝道集会」での講演を、友人のオカノ・ユキオ君に頼まれた。「どんな話でもいい」「信仰を教えられた酒枝先生や政池先生のことなら話しやすい」「それでいい」と即決。講演日は2月第2日曜日。「まだ3ヵ月近くある」とおもったがずっと気になる。
12月、ふたりの先生のことを思いつくかぎり毎日鉛筆で走り書き。夜中に飛び起きて書くことも。つぎに先生がたの魅力を考える。歳をこし1月。話の柱をいくつか立てる。やおらパソコンでワープロをたたく。年末年始、人の出入りや、別の仕事も飛び込むから講演準備に専念できない。しかしずっと気がかり。1月末、A415枚ほどの原稿をプリント。
2月、気合を入れて講演準備にかかる。いつものように原稿を読み返し覚える。覚えたたものをひとり自分の部屋で声を出して練習。つぎに洗面所で鏡を見ながら、表情と手の動きを見てしゃべる。時計を前に時間を計る。今井館では90分・1時間半だ。そして最後は家内に聞いてもらう。いちばん正直な批評家だ。「まあいいでしょう」という評価をうけて出かける。用心のため15枚の原稿を1枚のカードに要点をしるしポケットに忍ばせるが、講演が始まると見るひまはない。この日も立ったまま90分、聴衆の顔を見ながらどなった。
話し終わるとオカノ君が言った。「よくあれだけ覚えたね」「(心のなかで)えへへ、コチトラは苦労したぜ」。彼は講演会の通知を出すほかは、当日の天気や集まる聴衆のことくらいは気にしただろう。頼むほうは気楽だ。
エスが原稿を見ながら話されたことはない。使徒たちもそうだ。ファウストもいう「自分の肺腑から出たことばが、ひとの肺腑に入る」。
「語りつづけよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる」(使徒18・9)
<写真はオカノ・ユキオ>(講演内容は藤尾のホームページ「人物短評」欄に掲載。講演テープ希望者はオカノ・ユキオ(0429-72-7780)へ)