じっと待つ、もう待てない

2月27日は、あのノアさんが箱舟から出た日だ。旧約聖書の「創世記」8章14節にしるされている。ノアが600歳の2月17日に洪水がおこり、40日40夜、天の淵源が裂け豪雨が襲い箱舟は高く浮いた。150日して水はへり、7月17日に箱舟はアララト山にとまった。11月10日、ノアはカラスを窓から放し様子をさぐるがカラスは帰ってこない。ハトを放つと夕方にオリブの葉をくわえて帰ってきた。1月1日、地上の水はすべて乾いた。それでもノアは箱舟を出ない。それからふた月も待って、2月27日にやっと出た。
この60日間、箱舟の船内では、食料が尽きかけ、動物の糞尿汚染もひどく、早く出ようという家族の声がノアに迫ったにちがいない。しかしノアはふた月待った。

この「待つ」というのが、聖書の信仰だ。
おなじ旧約聖書の「サムエル記・上」10章8節に、預言者サムエルがサウル王に「わたしが着くまで七日間待て」と言ったのに、サウルは待てなかった。じつは彼も待って七日目になってはいた。しかし七日が終わってはいない。待ちきれずサウルが焼き尽くす捧げ物をささげ終わったとき、サムエルが来た。そして彼の失脚。彼は部下の造反を恐れた。ノアさんと反対の態度だ。

待ちきれないで大失敗をしたのは、イエスの一番弟子のペトロだ。イエスが復活されて40日間、弟子たちを教えてから昇天された。「間もなく聖霊による洗礼が授けられる」とのことばを残して。そして聖霊が降臨したのは50日目だ。その10日間をペトロは待ちきれなかった。「なぜ聖霊降臨がないのだろう」「そうだユダが主を裏切り使徒がひとり欠けたからだ」と彼は考え、マッテヤを使徒に補充した。
ここでペトロは三つの過ちを犯した。第一は、わずか10日を待ちきれなかったこと。第二は人間が使徒を選んだこと。これは旧家の跡継ぎを番頭が決めたような傲慢だ。第三にくじできめたこと。くじ占いは旧約聖書でも信仰が衰えたとき出てくる態度だ。しかしユダであいた穴に、主はパウロという大使徒を放り込まれた。その激震で使徒言行録の2章から、十二使徒のうち9人は消えさる。もちろんマッテヤも。だから「使徒言行録」は十二使徒の記録ではない。新しく起こされたパウロらの「使徒言行録」だ。
そうだ、苦しい事情に投げこまれても「主はいったい、わたしをどうされるつもりか」と見わたすのがキリスト信仰だ。

「貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。、、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。」(フィリピ4・12)