むかしはよかった、いまの若者は

「むかしはよかった、いまの若者は」と、繰りごとをいうのは老人のつね。
夏目漱石の最晩年の小説「こころ」にも、「わたし」という主人公が、帝国大学を出て帰郷すると、病身の父から就職活動のことを聞かれたあげく「むかしの親は、子に食わせてもらったのに、今の親は子に食われるだけだ」とこごとを言われる。ちょうど100年前、明治の終わりの日本だ。
明治の反政府運動をしるした田岡嶺雲の「明治叛臣伝」にも「今の青年はあまりにも意気地なし。その頭を悩ましむるものは卒業後の就職難なり。、、眉(まゆ)を昂(あ)げて功名を語らず、ただクラブ洗粉にそのニキビの顔を磨くを忘れず、肩を聳(そび)やかして天下の英雄を罵(ののし)らず、コスメチックに頭髪を光らすは忘れず」と嘆く。明治42年のことだ。つまり「むかしはよかった」が、代々つづくからおかしい。
旧約聖書にも「むかしはよかった」と嘆く場面がある。
紀元前587年、バビロンがユダヤ王国を滅亡させたとき、貧しい農民を残して、軍人、役人、職人ら有能なもの数万人を根こそぎ捕囚として強制連行した。そのバビロンが、BC 539年にペルシアに滅ぼされると捕囚もぼつぼつ帰還する。しかしエルサレムの神殿、城壁、城門は崩れたままだ。それの再建を、ユダヤ人学者エズラユダヤ人知事ネヘミアらが指揮する。そして第二神殿の基礎が築かれた。すると「昔の神殿を見たことのある多くの年取った祭司、レビ人、家長たちは、この神殿の基礎が据えられるのを見て大声をあげて泣き、また多くの者が喜びの叫び声をあげた」(エズラ3・12)という。バビロン捕囚から60年あまりもたっていた。ここで泣いたのは「むかしはよかった」と、壮麗なソロモンの神殿を知っていた年寄り連中だ。知らない若者は新建築開始を素直に喜んだ。   
「むかしのほうがよかったのはなぜだろうかというな。それは賢い問いではない」(コヘレト7・10)。
そのとおり。「むかしはよかった」というのはやめにしよう。うしろ向きの老人の繰りごとだ。田岡嶺雲から「今の青年はあまりにも意気地なし」と叱られた年代から、太平洋戦争後の日本の再建を背負った人材が多数育っている。青年はどの時代にも、将来大きなことを成し遂げる力を秘めている。
「力は若者の栄光。白髪は老人の尊厳」(箴言20・29)