巨大地震と大津波 神の一撃の十字架と復活

津波みちのくすべて春無残(正人)
2011年3月11日(金)午後2時46分、日本の気象庁観測史上最大のマグニチュード9.0の巨大地震が起った。日本の東北から関東まで、どん!と地殻を引き裂いたかとおもうと、やがて大津波、中津波、小津波が日本列島すべてを襲った。海の底から巻き起こる力で、人も家も車も漁船も列車も田畑も市街地全体も、一切のみこんで走る津波力をテレビで見て息をのんだ。それに火災、爆発、陥没、崩落、地すべり、停電、断水、不通、避難、孤立。
地震津波で亡くなられた方、家や財産を一瞬に失われた方、けがをされた方々、そのご家族には、慰めの言葉も見当たらない。神のあわれみを祈るばかりだ。
まさに「神の一撃」という表現しかないすさまじい力だ。
聖書にもこの無残な「神の一撃」がある。神が罪なきその独り子・イエスを撃たれたのだ。それがイエスの十字架の死だ。この十字架で、どん!と地殻変動が起り、ユダヤ教キリスト教のあいだに亀裂が走った。ユダヤ教では「正しい人が救われる」「罪人は裁かれねばならない」。この罪というのは「神なんか知らん、信じないぞ」と、神に背中を向けることだ。その許しに犠牲が必要だ。ところがイエスが十字架でご自身を罪のいけにえとして捧げられたのだ。それに気づいて、神さまのほうに向き直って、罪を悔い改めるだけで「罪人が救われる」のだ。そうだ「罪なきイエスが罪そのものとなって死なれたから、罪ある者が<罪あるままに>罪なき者とされる」のだ。これが十字架の救いだ。
巨大地震のあとしばらくして、すさまじい力の津波が押し寄せたように、十字架のあと三日して、イエスの復活という破天荒な出来事が起った。その力は世界中に押しよせる。津波は破壊する力だが、イエスが復活してキリスト・救い主になられた力は、永遠のいのちを保障する希望にみちた力だ。神の一撃により、どん!と亀裂が走り、福音はユダヤ教とは決別し、もう一度、どん!と津波のような復活の力が起って、永遠のいのちをいただいたのだ。
「イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた」(ヨハネ19・30)