「菅おろし」と「新人牧師養成」

ある古い教会の女性信徒から「わたしたちには、若い牧師を育てる責任があります」ということばを聞いた。伝統あるキリスト教会ではそういう気風がある。神学校出たての若い牧師は、初赴任の教会では緊張する。だれしも最初から上手に話せないし書けない。いま大牧師になっている先生がたもみなそうだ。彼らは派遣教会で説教するさい、苦しみ、もがき、祈り、学び、そしてへたな話をする。それを支え、育てるのが信徒、長老というものだ。若い牧師を「説教がへただ」と追い出しては人材は育たない。 少しでもいいところを見つけてほめるのがいい。
6月2日の「内閣不信任案」否決のあと、菅総理の退陣を求める「菅おろし」の声がかまびすしい。どうして引きずりおろすことに熱中して、育て支えることをしないのか。いま菅総理が辞めても、あとよくなる保障は何もない。毎年、総理を替える愚はよそう。菅総理は任期いっぱいやればいいのだ。たしかに野党時代が長かった民主党は、政権運営の実績がない。あれこれ失敗するのは当然だ。それを「まずい、へただ」と騒ぎ立てるのはいかがなものか。
まずマスコミが反省すべきだ。政権交代後の「苦しみ、もがき、経験を積みつつある」若い政権の揚げ足とりに走って、育てようという気概がない。それどころか一国の総理に泥をぬるような人身攻撃も目立つ。つぎに野党になった自民・公明党が反省すべきだ。原発事故も自民党時代の政官財癒着に原因があるはずだ。さらに民主党内の小沢・鳩山グループがいちばん反省すべきだ。大震災という国難を前にして、個人感情むきだしの醜態は見苦しい。鳩山元総理は「人間うそを言ってはいけません」と言うが、自身「沖縄の普天間基地は、かならず2010年5月末までに県外へ移設します」と公言しつづけ、けっきょく「大うそ」とばれての退陣ではなかったか。
こうしてみると、「何をバカなことをしている」と批判する国民がいちばん覚(さ)めている。徳川幕藩時代から400年、日本には飛びぬけた英雄やリーダーはなくても、なんとかうまくやれたのは、日本人の民度の高さと、中間官僚の優秀さに支えられてのことだ。政治家のドタバタ劇で「若い政権」を倒すのでなく、ますます「育てる気風」の必要をおもう。牧師にしろ、政党にしろ、新人を育てるには忍耐と、愛情と、厳しさが大事だ。
「母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまいました」(?テサ2・7、口語訳)