「かな」と「ハングル」

むかし中国の漢字文化の影響を受けた韓国と日本は、知識階級は漢文が読めたが、民衆は自分たちが話す言葉を文字で表現できなかった。たとえば漢字の「海」は、漢字読みにすると、日本では「カイ」、韓国では「ヘー」だ。しかし民衆は「海」のことを、日本では「ウミ」とよび、韓国の民は「バダ」といったが、それを字に書けなかった。そこで民衆が日常話す言葉の表音文字が両国でうまれた。日本は10世紀に、韓国は15世紀に。
日本では、漢字を「省略」して「ひらがな」「カタカナ」をつくった。いろはの「い」は「以」、「ろ」は「呂」というふうに。1001年に、この「かな」を駆使して、紫式部は世界最古の宮廷長編小説を書いた。カタカナも漢字の省略だが、これは知識階級の漢文の音訓用だ。韓国では世宗大王(セジョン・デワン)が、学者に命じてつくらせ、1446年10月9日に「ハングル」(大きな、ひとつの文字)を発布した。日本の室町・足利時代だ。ひとつの言語が造りだされ、何年何月何日に公布された例は世界にない。つまり日本人は漢字を縮めたが、韓国人はハングルという新しい文字を「独創」したのだ。かつて京城(ソウル)大学にいた元文相の安倍能成は「世界でもっともすぐれた表音文字」と評した。
韓国はいま漢字を捨てて、ハングル一色だ。たしかにパソコン入力には便利だ。一方日本は、漢字を中心にひらがなを使い、カタカナは外来語などに用いる。硬いものを尊びつつ、それを柔らかくする民族の伝統だ。平安時代の宮廷で、可動式ふすまに使われた「几帳」のつくりが、きちんと仕上げたため、日本語にしかない「几帳面」という言葉ができた。たしかに日本人は几帳面だ。労働者であれ、会社員であれ、スーパーのおばさんまで、仕事をきちんとする国民性がある。それでいて、几帳の角は柔らかく丸みを帯びる。茶道でも、形がいびつな楽茶碗を尊ぶ遊び心もあるし、書道でも書家の名品より、素人ぽい崩れた字が喜ばれる。硬い漢字から、柔らかい「かな」を生んだ日本人の風土だ。
エスも、「一点一画」をゆるがせにしないといいながら、「人間は宗教法規のためにあるんじゃない、宗教法規が人間のためにあるのだ」と、やってはいけない安息日の慢性病治癒をどんどんなさった。硬くて柔らかいイエスだ。そこにほっとする安らぎがある。
「それは民族ごとに、その民族の言語で書かれていた」(エステル記1・22)