塗り替えられる世界地図

一週間ほどまえの七月二二日(金)、ノルウエーの首都・オスローで起きた連続テロ事件は、ノルウエー人のアンネシュ・ブレイビック容疑者(三二)の犯行とわかりました。彼はイスラム教徒の移民が、ノルウエーの人口の一〇%に達したことを嫌い、それをゆるした与党・労働党を標的に、政府建物を爆破し与党の青年大会を襲撃したのです。
わたしはむかし、帝国書院の高校教科書用の「世界史地図」制作にかかわりました。そのとき思ったことは、一〜二世紀の単位で世界史を見回すと、洋の東西を問わず、ずんずん地図が塗り替えられてゆくことでした。たとえば「一〜五世紀のキリスト教の発展」といった地図は、どの世界史地図にもあります。パレスチナから北アフリカ、ヨーロッパ、バルカン半島までキリスト教圏です。それが二〇〇年のちの七世紀から八世紀にかけて「イスラム帝国の発展」時代になると、アラビア半島から、北アフリカはもちろん、いまのトルコの半分、スペインまでイスラム支配に様変わりします。
スカンジナビア半島のノルウエーなど三ヵ国がキリスト教になるのは一一世紀です。日本でいえば鎌倉時代のこと。つまり南のイスラムに押されて、キリスト教は北のプロシャや、東欧、北欧へ、またロシアへと伸びたのです。歴史地図はずんずん塗り替えられてゆくのです。
その東欧、北欧のキリスト教は、もちろんカトリック教会でしたが、一六世紀のルーテルの宗教改革で、北ドイツや北欧四ヵ国はルーテル教会を国教にします。ロシアはビザンチン教会の流れのロシア正教会になりました。
ブレイビック容疑者は、ノルウエーがイスラムに侵食されると心配していますが、心配するべきは、ノルウエー教会自身の中身ではないでしょうか。教会自身が充実していれば、イスラムとの並存でもびくともません。
世界史地図はずんずん変ります。日本もかつては北や南に領土を広げ、地図を赤く染めていましたが、いまは元の四つの島に納まり、いい形になりました。そして日本は、この「小さい形」のまま、「小さい<から>大きい」「日本人<だから>すごい」と、、内に力を充実させるのがいい姿です。「ああ幸いだ、平和を作る人たち、神の子にしていただくのはその人たちだから」
(マタイ5・9、塚本虎二訳)