無教会はしんどい

「無教会はしんどい」と言ったのは、週刊「朝日ジャーナル」元編集長の宇佐美承さん。その母上・信子様の葬儀を頼まれた時だ。自宅での小人数の告別だった。母上の妹が矢内原忠雄先生夫人・恵子様だから、もちろんそこには従兄弟の矢内原勝先生夫妻もいられた。「無教会はしんどい」と聞いて驚いたが、「さもありなん」と思った。承さんは母上のキリスト信仰を尊敬しつつ、やっとこさっとこ集会につらなっていたからだ。
たしかに、やっとこさっとこ集会につらなっている人にとっては「無教会はしんどい」。なぜなら、カトリック教会も、プロテスタントの教会も、神父・牧師がいるところでは、信徒が信仰活動の中心になることはない。しかし教職制度を否定した無教会では信徒がその活動を担う。この平信徒が集会の責任をとるやり方は、原始キリスト教会の「家の教会」いらいの伝統だ。教会が発展し、大きくなると、やがて教会堂や修道院がつくられ、リーダーが司祭になり専門職になった。ところが5世紀の民族大移動で、東からフン族がヨーロッパを侵略し暴れまわると、教会は焼かれ司祭も殺され、家庭の家長がキリスト信仰の継承の中心になった。また百年戦争(1339−1453)で荒廃した西欧諸国では、信徒が家庭で礼拝を守らざるをえなくなった。これが16世紀のルーテルの「万人祭司」の宗教改革の土壌を培ったのだ。
そのルーテル教会も、多分に儀式の要素をふくんでいたため、クエーカーや、ブレズレンや、メノナイト派など、無組織の信仰運動が起った。日本の無教会もその流れだ。つまりキリスト教の歴史には、「家庭での平信徒派」と「教会での教職中心派」のふたつの潮流がたえずある。もともと「家庭での平信徒派」からキリスト教が始まったのは、福音が「うれしくて」各人が大喜びして伝道したからだ。やがて「教会での教職中心派」が広まると、それら教会では、上手に信徒の「しんどさ」のガス抜きをしてくれた。だから「しんどい」人は教会に身をおくといい。
しかし、まことのキリスト信仰は、教会であれ、無教会であれ、キリストの福音が「うれしくて」、「しんどい」どころでなく、主のため働くのは「楽しく」「いや、喜びです」。
「わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされる」(ヨハネ15・11)