「残照」〜高貴高齢者の入信〜

さる9月、ふたつのうれしいことが重なった。勝原文夫君の米寿(88歳)記念の「残照」の発行(9月20日刊)と、中崎力信(りきのぶ)様の洗礼(9月30日)だ。
「残照」では、まず彼の生きた道がしるされる。勝原文夫君は、わたしの国立国会図書館調査局での親友。調査マンとして国会議員の質問に答えつつ、専門の農業経済の立場から「農の美学」を著し、平凡な働く農民のいる田園風景が、いかに非凡な美かを力説して注目を浴びたこと。また俳句に親しんでいくつかの句集を出したこと。定年後は地方短大の学長にもなったこと。そして最後の「信仰への道」で、キリスト信仰について書き留めている。彼のまわりには、不思議とクリスチャンが多かったのに彼は信仰を求めなかった。それが86歳になった2009年に信仰を告白した。そのことは、この「月曜ブログ」の2009年10月2日「信仰によりて義とされる」、12月14日「南無アッバの信仰告白」にすでに書いた。86歳の入信だ。「主の手はゆっくりと動く」。
中崎力信様は95歳の入信だ。三菱商事の取締役や、明治製糖の社長・会長をされた実業人。夫人がわたしの父の茶道の弟子で、キリストにも導かれた中崎妙子様。それが喜寿(77歳)を過ぎて勃然と創作意欲が湧き起こり、「水堂藩 佐方勝之進の生涯」「勝之進 何処へ」という、郷里水戸藩の藩政改革をめぐる時代小説2巻を著し、周りはあっと驚いた。また傘寿(80歳)のころから、夫人とふたり自宅で日曜礼拝をつづけ、その記録ノートがすでに6、7冊になっている。心はキリストへと傾いていられたのだ。「洗礼を受けたい」という希望は、9月半ばにわたしに伝えられ、カナダから一人娘の恵利子様もかけつけ、9月30日、月島のマンションで洗礼にあずかった。わたしの父がいたら万歳と叫んだにちがいない。
中崎様といい、勝原君といい、高貴高齢者の入信だ。これからの日本、こういう方がふえる予感がする。「主の手はゆっくりと動く」。
「その日に、主の手がわたしに臨み、わたしをそこへ連れて行った」 (エゼキエル40・1)