米寿のいそちゃん

shirasagikara2011-11-14

11月9日(水)、1年ぶりに宮城県の国立療養所東北新生園の、いそちゃんをたずねた。新生園はいま、ハンセン病療養所というより、重い障害者施設になっている。45年まえ、初めて新生園を訪問したときは600人もいた患者が、いま130人、平均寿命は80歳を越えた。世話する厚生労働省の医師、看護師、介護士のほうが多い。
何棟もある長い廊下のはての、部屋の入り口で「いそちゃん」と呼ぶと、ごろ寝をしていたいそちゃんが、「いらっしゃいませ」と半身を起こした。ご主人の佐藤勝衛さんはベッドの上で、ふとんから顔だけ出して「やあ」と声を出す。昨年まで勝衛さんは、畳の敷きぶとんにあぐらをかいて聖書の話を聞いた。今年はベッドだ。毎年弱ってゆく。「聖書の話をします」というと、「はい」と勝衛さんは目を閉じたまま声を出し、いそちゃんは畳にひれ伏して両手をのばす。聖書は重くて持てないのだ。わたしも聖書は開かない。(写真はその部屋)
ハンセン病療養所は、キリストの証人の宝庫だ。からだにひどい仕打ちを受けながら、不平をもらさずキリストをあがめている方々が無数にいる。あの「炊飯器のおばさん」もここにいた。いそちゃんだって、目も手足も不自由でいざっているのに不平を言わない。
T兄は、全盲で難聴、四肢麻痺、大腸ガンで20cm切除、舌ガンで半分切除、転んで大腿骨複雑骨折、しかも平安に満たされ、短歌を作り、祈りつづけた。S兄は、右手の指2本がないのに「感謝なことに3本あります」と笑う。  
キヨちゃんという女性は、両手足麻痺で失明。熱瘤で呼吸困難、咽喉切開して17年カニューレ呼吸。そのうえ喘息、汗疹。皮膚がんで入院した病院で、夜中小声で賛美歌を歌っていると、同室の若い女性が「もっと大きな声で歌って、心が安らぐから」と頼んだ。9年まえ、この女性は、いそちゃんに抱かれながら、「早くイエスさまのもとへ行きたい」と言いながら主に召された。その生涯、一度たりと愚痴やつぶやきを聞いた者はいない。イエスさまはすごいことをなさる。
いそちゃんをたずねると、キリスト信仰の香りをいただく。彼女はわたしの信仰の先生。そのいそちゃんも米寿だ。
「人にはできないが、神にはできる」(マルコ10・27)