中国八路(共産)軍捕虜虐殺拒否ー「歌集・小さな抵抗」

shirasagikara2012-01-23

ほんとうに高い山は、離れるほど高くせり上がってくる。人間もそうだ。年をへてせり上がってくるのが本物だ。渡部良三著「歌集・小さな抵抗ー殺戮を拒んだ日本兵」(岩波現代文庫s234・2011年11月刊)を著者からいただいたとき、そう思った。壮絶な歌集である。天皇の命令に抵抗して、中国共産軍捕虜刺突を拒否した一学徒兵が、その前後の状況や残虐な戦闘を、小さな字で短歌に託し、敗戦後は軍服に縫いこみ「日記も没収」という米軍の検閲をくぐらせた宝物。
良三さんは「学徒出陣」で入隊し、中国河北省深県東巍家橋鎮に駐屯中の1944年春、上官が48人の新兵に度胸をつけさせるため中国八路(共産)軍の捕虜5人を銃剣で刺し殺させた。良三さんはそれを「殺すな」という聖書に従って拒否した。父・弥一郎譲りの反戦思想だ。その父は鈴木弼美という内村鑑三の弟子の影響で基督教徒になり非戦思想を抱いた。この弼美・弥一郎は1944年6月、反戦思想のため治安維持法違反で検挙され山形警察署に8ヵ月拘留。
「いのち乞わず八路の捕虜は塚穴のふちに立ちたりすくと無言で」「旧約のイザヤアブラハム思い出ず殺さるる八路の胸張るを見て」「祖国守る心つらぬく若き八路刺し抜かれ突きぬかれ襤褸(ぼろ)となる身に」「あらがわず否まず戦友(とも)ら演習に藁人形を刺す如く突く」「反戦は父に誓いしひとすじぞ御旨のままをしかと踏むべし」「祈れども踏むべき道は唯ひとつ殺さぬことと心決めたり」「鳴りとよむ大いなる者の声きこゆ『虐殺こばめ生命をかけよ』」「『捕虜殺すは天皇の命令』の大音声眼するどき教官は立つ」「縛らるる捕虜も殺せぬ意気地なし国賊なりとつばをあびさる」「すべもなきわれの弱さよ主の教え並みいる戦友に説かずたちいつ」「酷き殺し拒みて五日露営の夜初のリンチに呻くもならず」「かかげ持つ古洗面器の小さき穴ゆ雫のリンチ頭に小止みなし」
入隊前や敗戦後の短歌をふくめ924首を収める。徐州駐屯中、中国の子どもらの耳だれを薬で治し、敗戦後復員列車の外を子どもたちが「ツァイチェン(再見)!トウベイ(渡部)!」と叫び走った。良三さんは東北の骨太で心優しい農の子だ。
「隠れているもので、あらわにならないものはなく」(マルコ4・22)