日本の封建制と教会のつぶつぶ運動

五〇年ほど前、韓国光州市の大学校の総長がたずねて来られ「日本の封建制を研究しに来た」と言われ驚きました。当時「封建的」は「旧悪」の代名詞だったからです。
総長は「韓国と日本を較べ、近代化で韓国が日本に遅れを取ったのは、李朝五〇〇年間、中央集権制で、封建制度がなかったからだ」と言われたのです。わたしは「目からうろこ」の思いで封建制を見直すようになりました。
たしかに「三百諸侯」は競って藩校を建てて武士の教育に励み、庶民の寺小屋も全国に普及し、明治五(一八七二)年、義務教育開始の「学制発布」のころ、日本人の識字率はイギリスを越え、オランダ、プロシャと並び世界最高水準でした。その藩校も、たんに文武両道を教えるのでなく、幕末に近づくにつれ、西国諸藩はもちろん多くの藩が蘭学教師を雇い西洋知識の吸収に励んでいます。また地場産業として日本のすみずみに伝統工芸や特産品の製造力が根づいたのは、各藩が財政対策で奨励したものが多いようです。
韓国では優秀な人材を中央の科挙試験で選抜し、官吏として地方へ送りました。善政を布いた高官も多かったのですが、どうしてもその目は民より中央に向きがちです。日本の藩主・家老が民に密着したのと逆でした。
いまも韓国では中央指向が根づよく、大学はソウル大学へ集中します。日本で東京大学とならび、ノーベル賞学者を輩出した京都大学が、でんと控えているのと対照的です。
また日本では一〇〇年も二〇〇年もつづく地場産業や老舗をTVでも取り上げて好評だのに、韓国では、代々同じ商売をして中央へ上れない姿は先祖に顔向けできないと、取材を断ることがあるといいます。これも封建制と中央集権制に由来するのでしょう。
キリスト教会でも、中央集権制はカトリックです。それを打破したのがルーテルでした。しかし塊は残ったのです。それを粉々にしたのが、クエーカーや、メノナイトや、ブレズレンでした。内村鑑三の無教会も、万人祭司の「つぶつぶ運動」です。「イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった」(マルコ1・28)