新約聖書が削除した旧約聖書の王様

shirasagikara2012-02-27

聖書は神のことばで、一言一句、間違いがないとされた。しかし新約聖書は、あの大工の子イエスが、神の子・キリスト・救い主だと主張するために書かれたので、時には大胆にも歴史の事実さえ無視することがある。
新約聖書の巻頭にマタイ福音書があり、そのまた最初にイエス系図がしるされる。その中に、三つの時代を14代に区切って名前を列挙する。「アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロンへの移住まで14代、バビロンへ移されてからキリストまでが14代である」(1・17)。このうち「ダビデからバビロンへの移住まで14代」が問題だ。そこに書かれたユダ王国の王様が、実際より少ないからだ。
ダビデ王の子がソロモン王。その子どもから国が分裂し南北朝だ。北はイスラエル、南はユダ。それは旧約聖書の「列王記」上下にくわしい。イエス系図はその内ユダ王朝の系図をたどる。とすると、ダビデからユダ滅亡まで21代の王がならぶ。しかし「マタイ福音書」では14代にカットした。21代から14代を差し引くと7人の王様が消された勘定。消されたのは7代〜10代(アハズヤ、アタルヤ、ヨアシュ、アマツヤ)、18〜19代(ヨアハズ、ヨヤキム)、そして21代(ゼデキヤ)の7人の王だ。消された王が特に悪い王というのでもない。
なぜそうしたのか。14代という枠にこだわったからだ。14を2分割すると7。7はめでたい数字。14が3つあれば7の6倍。その最後にイエスがあらわれ、また7倍の最初に再びイエスが立つ。ちょうど、2回目の14代の終わりのエコンヤを、3回目の14代の最初にもう1回登場させて数合わせしたように、3回目の14代がイエスで終わって、また新しい時代の先頭に、もう1回イエスを立たせたかったにちがいない。そうすると、イエス・キリストの誕生は7の7倍目の筆頭の出来事。全然新しい、めでたい時代の到来を告げるものとなる。新約聖書の記者も思い切ったことをするものだ。
アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリスト系図」(マタイ1・1)