感心する人々と日本の牧師

shirasagikara2012-03-05

昨年の東日本大震災で、住民に「すぐ避難してください」と、くりかえし放送しつづけ、自分は津波に襲われて死んだ岩手県南三陸町若い女性職員や、宮城県岩沼市の男性職員がいた。偉い、感心する。津波の泥をかぶった被災者の写真やアルバムを、ていねいに洗って元の家族に戻す作業に励むボランチアの人々がいる。偉い、感心する。
朝6時、郵便受けをのぞくと、ちゃんと朝刊が入っている。雨や雪の日にはビニールに包んである。皆が寝ている真っ暗のなかの作業。偉い、感心する。道路を深く掘り、太い鋼鉄製の管を、5、6人の工夫が埋めている。上で指揮する者、もぐる者、みな真剣そのもの。クレーンが管をつり下げるのを、片手で合図しながら、目は地下を見つめ、つなぎ合わせにピタリとつける。日本の労働者の質の高さ。偉い、感心する。雪に埋まった家へ、道路から雪をかきわけ道筋をつくり、ひとり暮らしの老人に声をかける役場の職員らがいる。そのあと2人で屋根の雪おろしに精を出す。偉い、感心する。
みな、だれが見ていようと、いまいと、自分のするべき役目を黙々とこなす「非凡なる凡人」(国木田独歩)たちだ。
そして、わたしがいつも感心するのは、日本中の牧師・伝道者たちの働きだ。スタンダールの「赤と黒」の、赤は軍人、黒は聖職者を意味し、いずれもフランスで大出世が望める職分だった。韓国でも「ソウル イエス」という本が出て、復興会(プフンフィ)という大伝道会の献金の分け前の大金が、牧師の懐に入り、大教会の牧師の優雅な生活を批判していた。
しかし、それは信徒数が多い国で起こることだ。信徒の少ない日本では考えられない。それだけ日本の牧師・伝道者は純粋だ。この世で金持ちになることや、出世をすることと、きっぱり縁を切り、主キリストのため、すべてを捨てて身を捧げた人々だ。この春も日本で、神学大学をめざす人々があとをたたない。うれしい、感心する。これらすべての上に、その志を与えられる主がいられる。すごい、感心する。<写真は庭の福寿草
「キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています」(フィリポ3・8 )