1年目の「3・11」と、67年目の「3・10」

shirasagikara2012-03-12

そして1年。あの3月11日だ。日本は地震津波だけでなく、夏から秋にかけての台風は、琉球列島を毎年襲撃し、九州、四国や本州にも時々上陸する。そのたびに河川の氾濫や交通網の寸断など、天災人災が入り混じる。そのうえ戦乱がある。67年前の1945年、日本の太平洋がわの都市という都市が米軍の砲爆撃で壊滅した。うち3月10日の東京大空襲はひどい。300機のB29爆撃機が東京の下町を襲い、周囲から焼き始めて退路を断ち、32万発の焼夷弾で無差別爆撃。10万人が死んだ。
このように、天災人災に襲撃されつづけると、一つの国民性がうまれる。「この世はうつろいゆく」という無常観だ。仏教が日本人に深く入った理由がここにある。あきらめだ。だから「極楽浄土の救い」が輝いた。しかし、あまりにもひどい仕打ちを受けた琉球は違う。断固たち向かう意思がある。
このような土壌のなかで、16〜17世紀にキリシタンとよばれるカトリックが、日本の大名をはじめ、あの島原の乱を起こす農民にまでひろがったのはなぜか。当時、70万人の信徒がいたという。仏教の無常観にたいし、キリシタンが教えたのは、まず「摂理の神」だ。「唯一の神が、現世と来世とをとりしきる主」と信じる信仰だ(1591年、長崎で活字印刷「ドチリイナ・キリシタン」)。その中で「使徒信経」や「信仰箇条」などキリスト信仰の基本を繰り返し教えた。日本人には、天災人災に遭いながら、無常観だけでなく「新しいもの」「高質なもの」を求める気風が常にある。またねばり強い復元力がある。
ともあれ、天災人災が入り混じる日本では、クリスチャンであろうと、この世の無常を痛感する。ただ「3・11」も「3・10」も、しかたないと「あきらめる」のでなく、天地の主である方により頼み、キリストに愛されて、摂理の道をゆっくり歩みたい。
「大水も愛を消すことはできない、洪水もそれを押し流すことはできない」(雅歌8・7) <写真は庭の紅梅>