今、なぜ内村鑑三か

shirasagikara2012-04-23

米国で繰り返し伝記が出るのはリンカーンだ。人気がある。日本では内村鑑三が突出している。ぼう大な「内村鑑三研究文献目録」も出るほどだ。そこへ「内村鑑三」を1990年に発表した文芸評論家・新保祐司の編集で、「内村鑑三 1861−1930」が、鑑三生誕150年を期し2011年の歳末に出た。新保の鑑三理解の深さ、その情熱が伝わる編集だ(別冊 環 ⑱、A5判寸伸、367p、3800円、藤原書店刊)。
本書の特徴は鑑三の弟子筋でなく、外側から鑑三を見ていることだ。まず新保と元国際日本文化センター所長の仏教哲学者・山折哲夫との対談で始まる。それが面白い。維新以来、日本は福沢諭吉の富国強兵路線を貫き、成功を収め、今行き詰まった。このとき、政権のアウトサイダーで、近代日本の根源的批判者だった内村の存在、その言論が光るという。それは内村が「代表的日本人」に取り上げた西郷隆盛上杉鷹山日蓮中江藤樹二宮尊徳らを、日本の旧約としてそれに根を下ろし、しかも西欧の思想を消化して、キリスト教を新約の武器に、近代日本を批判している「深さ」が鑑三にあると見る。
また「鑑三山脈」は「漱石山脈」をはるかに越えて裾野が「広い」。本書にも鑑三に影響された43名の著名人の「鑑三評」が掲載されているが、鑑三ファンには、知識階級だけでなく、鉄道員郵便局員、小学教員、農民ら地の塩のような人脈も多く、鑑三の没後、全集を予約した者の中に彼らが多数いた。また宮沢賢治に影響を与えた斉藤宗次郎の、自立する農業を鑑三が助けた。植村正久は信者をつくったが、鑑三のような幅広い人材を生まなかったという。
本書は、鑑三の「天職論」(鈴木範久)、「日本論」(田尻祐一郎)、鑑三と「牧口常三郎」(鶴見太郎)、「田中正造」(猪木武徳)、「河上肇」(住谷一彦)、「石橋湛山」(松尾尊禱)、「井上伊之助」(春山明哲)を論証し、海老名弾正、徳富蘇峰山室軍平石川三四郎、山川均、岩波茂雄、長与善郎、金教臣の「鑑三と私」を収める。
さらに鑑三自身の文章8編、それも「羅馬書之研究」は全文収録といった念の入れ方だ。鑑三の「私は今流行の無教会主義者にあらず」の文章も(暗に弟子の塚本虎二を批判して)面白い。鑑三評伝の集大成だ。「今、なぜ内村鑑三か」、新保祐司はそう問いかける。
「誇る者は主を誇れ」(第2コリント10・17)