「金歯差せよ」おおらかな韓国と几帳面な日本

shirasagikara2012-04-30

韓国の京畿道水原市から全羅南道の光州市まで、ひとりで汽車に乗った時のこと。かなり混んでいるお客を縫って、売り子が声をあげる。びっくりしたのは「キンバサセヨ」の声。「金歯差せよ」とはなにかと売り子の近づくのを待った。なんと「のり巻き」だった。
ハングルでは「のり」を「キム」といい、「ごはん」を「パップ」という。ちぢめれば「キムパップ」だ。しかし最後の「プ」は聞こえない。ちょうど「ビビンパップ」(混ぜごはん)でも「ビビンパ」と「プ」を省くように。だから「金歯差せよ」と聞こえたのだ。「のり巻き、買いなはれ(サセヨ)」の掛け声だ。そののり巻きだが、韓国式は長いのり巻きの両端をそろえない。日本式はすぱっと端を切る。国民性の違いだ。
わが家に泊まられた韓国の友人と家を出ると、近くにきれいに刈り込まれた生垣の屋敷があった。友人は「どうして端をそろえるのか」と笑う。驚くわたしに「韓国ではそろえません」。
韓国の農村で藁屋根の葺き替え作業を見た。日本の藁屋根のように、ぎゅうぎゅう藁をつめない。下の者が放り上げて、上の者がならべるだけだ。だから1、2年で葺き替えると聞いた。そしてここでも藁屋根の端はだらりんこ。テレビの韓国時代劇によく出る藁屋根だ。日本の藁葺きや茅葺き屋根の先端がきりりとそろえられているのと大違い。
日本人から見ると、だらしなく見えるこの姿が、韓国人にはたまらなく美しいのだ。だから「韓国式庭園」も日本や欧州と違う。最大限に自然の川の流れや木々や岩を残し、小さな亭を置く姿、「これが庭園か」と思う形が美しいのだ。日本で自然の姿を人工の技で整えた桂離宮修学院離宮の庭園と大違い。
たしかに韓国人には、このおおらかさがある。日本人から見れば「おおまか」で「締まらない」ゆったりした姿は、几帳面な日本人の大いに学ぶべきところだ。キリストには「一点一画」の几帳面さと「空の鳥」のおおらかさがあった。
「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」(マタイ6・20) <写真は庭の上溝(うわみず)桜の花>