三つの「キリスト教・金環日食」

shirasagikara2012-05-21

きょう二〇一二年五月二一日の朝、日本各地で金環日食が見られました。太陽と月と地球が一直線に並び、月から太陽がはみ出して金環が輝きました。
キリスト教の歴史でも、その麗しい「金環日食」が三度あらわれています。
最初は、イエス・キリストの誕生の地、ユダヤベツレヘムで起こります。それまで神と人間とが向き合いだったのに、その真ん中にイエス・キリストが出現し、神と人間の真ん中に立ってとりなしてくださったのです。まさに紀元元年です。神ーイエス・キリストー人間と、三つが並ぶ金環食でした。
二回目は、紀元五八年ころ、いまのトルコのエペソで起こります。使徒パウロが書いた「コリント人への手紙、第一」の一三章です。「いまや、残るものは、信仰と希望と愛の三つだ。このうち、一番大きいのは愛だ」。キリスト信仰で大事なもの三つ。信仰ー希望ー愛が金環食のように並んだのです。さすがパウロ。信仰より、希望より、愛が大きくはみ出して金環のように輝きます。イエス・キリストも、「愛」が新しい掟だと言い残し、ご自身十字架で愛だけを残して死なれました。
三回目は、紀元三二五年五月の「ニケア宗教会議」で起こりました。まだ神学が確立しなかった初期キリスト教会では、イエス・キリストは、神か人間かと論争がありました。そこで、いまのトルコのニケア(ニカイヤ)に各地教会の代表が召集され、アレキサンドリアの主教・アタナシウスが主張した「神・キリスト・聖霊」はひとつとする「三位一体」の金環食が公認されたのです。反対したアリウス派は東へ流れます。空海弘法大師が唐の都・長安で見た「景教」教会堂はアリウス派の教会です。
山形県で基督教独立学園を創立した鈴木弼美は、一九四四年六月、その平和、非戦思想で逮捕され、山形警察署の地下監房に七カ月留置されました。そのとき、「アタナシウス コントラ ムンゾム その如く われ独りにて闘ひ抜かん」と詠います。「ムンゾム」は世界。アタナシウスが、世界をむこうにまわして(コントラ)一歩も引かなかったその勇気で、自分を励ましたのです。「父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」(マタイ二八・一九)
<写真は庭のジャスミン