中崎妙子さんの尊厳死

shirasagikara2012-06-18

2012年6月8日、金曜日のひるさがり。東京築地の聖路加国際病院10階の、ホスピス病棟1065号室には、明るい日差しが射しこみ、まっ白いベッドで、まっ白いシーツにつつまれた中崎妙子さんが、白い顔を上向きに横たわっていました。
「母の終わりも近い。最期のお祈りを」と電話を受けたわたしがその病室に入ると、ご主人の中崎力信さまは車椅子、一人娘の恵利子さんと、その主人のドルエットさんの3人がベッドをかこんで坐られています。妙子さんは、目を閉じ口は少しあけ、静かに息をされています。下の歯並びが見え、86歳にもなって、こんなにご自分の歯がと驚きました。
妙子さんが寝ているベッドから、窓のかなたに、墨田川を挟んで建つ「サンシティ・銀座イースト」の高層ビルが見えます。彼女は5月1日にそこからこの病院へ入ったのです。まだこの病棟に入りたての5月なかばころは、そこの26階に残してきたご主人の力信さまと、時を定め窓のロールカーテンを上下させて、互いの元気を合図されました。
そのマンションで、2011年9月30日(金)、ご主人の力信さまは、キリストを信じる信仰告白をされてバプテスマを受けられたのです。95歳でした。まさか8ヵ月のち、妙子さんが先に召されるとは思いもしないことでした。しかしいまになればそのことも、主のおはからいでした。
わたしは椅子にかけ、彼女の唇の動きを見つめました。わたしの父も唇の動きが止まったときが最期でした。ふと彼女の口が閉まったとたん、彼女の目が開きかけました。「目があいた」のわたしの声に、恵利子さんはお母さんの体に抱きつき「ママ、ありがとう」と母上の顔中にキスをしました。ご主人も車椅子から立ちあがり、顔と顔を近づけました。カナダから駆けつけたドルエットさんは額にキスしました。
妙子さんは、まるでイエスさまが見えたかのように、愛する家族を探すかのように、目を見ひらき、そして静かに目を閉じました。わたしは冷たくなり始めた彼女の左手をにぎり、大声で最期の感謝の祈りをしました。ふと見ると二人の医師と看護師が一人立っていました。なんという静けさ、安らかさ、清らかで厳粛で神聖な、注射器1本もない、自然な人間の尊厳死でした。愛するものにかこまれ、イエスの祝福にあふれ、彼女が望んだとおりの最期でした。わたしが聖書を読み、4人で賛美歌を歌いました。
「主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い」(詩篇116・15) <写真は、恵利子さんと妙子さん。5月19日>